いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

神とは。精神とは。

神とはなんだろう。
神は本当に「存在する」のか。
神は本当に「存在しない」のか。
誰もが抱く、幾分ナイーブな問いだ。

こんなことを言い始めると、おせっかいな人々は忠告するだろう。
ーーこの期に及んで、またぞろ「死んだはずの神」を引っ張りだそうとするのか。ニーチェの教えを忘れたのか。
ーー終わったはずの形而上学をまた、と。何を無駄なことを、と。

しかし「911以降」、同じ中東の神(ヤハウェ=エヒイェー)、そしてその神の子、あるいは預言者イエス・キリストマホメット)の子孫たちが争っている現実があるのを、「終わった問題」、「結論の出た問題」とすることに、いかばかりの正当性があるのかと、わたしは逆に問いたいのだ。
もちろん、「イスラム原理主義者」によるテロ行為と、「キリスト教国」による掃討作戦という名のテロ行為の戦いを、宗教戦争になぞらえることは危険かもしれない。しかし少なくとも、21世紀の現実の中で、神について新たな思考を巡らすことを禁ずるものではないはずだ。

むしろ無神論の嵐が一通り去った(つまりあまねく行き渡った)現代こそ、「存在」と「不在」の狭間にある、あるいはそれらをまたぐ神について、考えるべき時ではないのか。
そして、イスラエルの置かれた(いまだ潜在的ではあっても深刻な)政治的・軍事的危機にあって、「神のありよう」をいまひとたび検討することは、無駄であるというよりはむしろ必要とされる議論であるとすら思う。

。。。などと市井の(それも年甲斐もなく文学にかぶれた)一オッサンであるわたしのような者が、唾を飛ばして喚いているのも甚だ滑稽な絵ではあるが^^;

先日からのエントリーで、古代ヘブライ語エマニュエル・レヴィナスの言葉を引きながら繰り返し述べて来たのは、「神は『在る』のではなく『在ろうとするもの』」だという点だ。そしてレヴィナスの獲得したメタファーである「不眠」を敷衍するならば、神は「いつ現れるかもわからない、ひょっとしたら現れないかもしれない、我々の「時」を外側から見る視線そのもののような、覚醒なき覚醒のような存在、それも、『不在と同義の存在』である」という、こととなる。

これは、自明のことだろうか。
あるいはそうかもしれない、と思う。
「神は、出現の可能性、出現の不可能性そのものだ、つまり我々の生きている現実、時に『神も仏もありゃしない』と嘆き、時に『もし神があるなら最後にこれだけは……』と祈りを捧げる現実、人生、そのものじゃないか」というわけだ。

このような思考、このような神は、たとえばハイデガーのいう意味での「実存者」ではない。
すでにレヴィナスが「実存なき『実存すること』」と言ったとき、ハイデガー的な実存者は、存在を思惟するのではなく、「実存なき『実存すること』」によって「見られるもの」となっていたのかもしれない。

ハイデガーがついに避ける(vermeiden)ことの決してできぬもの、避けえぬものそのもの、それは精神のこの分身、GeistのGeistとしてのGeist、常に自らの分身を伴って来るestpirt[精神]のesprit[亡霊]としてのesprit[精神=亡霊]ではないのか? 精神は自らの分身である。
 (『精神について』 ジャック・デリダ 人文書院刊 p66)

ここまでの議論では、「ではわれわれの存在とはなんなのか?」という問いには、成立し得ぬ否定法でしか答えられない。つまり、「存在ならざる存在にとって他なるもの」としか言い得ない、ということだ。
ここで、存在と不在の間を行き来する、デリダのいう「亡霊=精神」こそ、われわれがここまで探って来た「神」にほかならない。あるいは、「正義」だ。

亡霊はけっして死なないということ、それはつねに来るべきもの、再来すべきものであり続けることを、である(『マルクスの亡霊たち』 ジャック・デリダ 藤原書店刊 p214)



 それをやり残したというのならば、それ、すなわち生きることを学ぶ=教えることは、生と死との境でしか起こりえない。それは、生のみのなかでも、死のみのなかでも、いずれのなかだけでは、起こりえない。二者のあいだで、そして人が望みうるあらゆる「二者」のあいだで起こることは、生死の境で起こることのように何らかの幽霊によってしか維持されることはできず、また何らかの幽霊を語ることしかできない。したがって、精神=霊たち[les esprits]のことを学ばなければ=教えなければならないだろう。たとえ、そしてとりわけ、それすなわち亡霊的なものが存在しないとしても。たとえ、そしてとりわけ、実体でも本質でも存在でもないそれが、その現在=現前する後見人[present tuteur]なき時間は、この導入がそこにわれわれを引き込むように、次のことに帰着するだろう。すなわち、幽霊たちとの面談=維持[entretien]、交際、仲間づきあいのなかで、幽霊たちとの交流なき交流のなかで、幽霊とともに生きることを学ぶ=教えることに。別様に、そしてよりよく生きることを。いや、よりよくではなく、より正しく生きることを。あくまで彼らとともに。かつてなかったほど共在なるもの一般を謎めいたものにするこの<ともに>なしには、他者との共在はありえず、仲間=社会要素[soucius]はありえない。そして、この亡霊との共在はまた、<単に>そうだというわけではないが、記憶の、相続の、世代=生殖(ジェネラシオン)の政治学<でも>あることになるだろう。

 私が、幽霊と相続と世代=生殖について、幽霊のいくつもの世代=誕生、すなわちわれわれの前にも、われわれの内にも、われわれの外部にも現前しておらず、現在生きていないある他者たちについて、これから長々と話そうとしているのは、正義[justice]の名においてである。まだ存在しない正義、まだここにはない正義、もはやここにはない正義、すなわちもはや現前せず、法[loi]におとらず法律=権利[droit]にも還元できないところにある正義の名においてである。(中略)よっていかなる正義も、何らかの責任=応答可能性[responsabirite]の原理なしには可能ないし思考可能には思われない。(中略)生き生きとした現在の、自己に対するこの非-同時性がなければ、その現在の正確さをひそかに狂わせるものがなければ、ここにはいない者たちーーすなわち<もはや>あるいは<まだ>現前してはおらず生きていない者たちーーへの正義のための責任と敬意がなければ、「どこに?」、「明日はどこに?」(<>)という問いを立てるどんな意味があるというのだろうか。

 その問いは到来する[arrive]、それがかりに到来するならば、それは<未-来[a-venir]>のうちにやって来るであろうものについて問いを立てる。未来の方を向き、その方へと歩みながら、その問いは未来から来てもいるのであって、それは未来に由来するのだ。したがってそれは、自己への現前としてのいかなる現前をもはみ出していなければならない。(中略)すなわち、自己への不一致においてのみ。(同書 p12-14)

ここに至って、わたし自身が数日前に抱いた疑問にまた、立ち戻ることになる。
運命が、ふいに回り始めたとき、いったい何が起こっているのか。
そこに神はいるのか。いないのか。

幼い頃、実母を亡くした(こう何度も書くと、同情もされなくなるだろうがw)。
30年前、小学5年生だったわたしは、東京では珍しいひどい大雪の日に、授業中に教員から呼び出された。
入院中の母が、危篤だという。
その知らせ自体、わたしには晴天の霹靂だった。
幼さ故の愚かさで、入退院を繰り返していた母の姿を見ながら、母が死ぬ、という事態を、そのときのわたしは想像してもみなかった。
危篤状態で病床に臥せった母を見舞い、次々に現れる親族たちはみな、彼女を哀れむと同時に自分をも哀れんで泣きくれていたのをよく覚えている。それでも、わたしは、頑固なまでに、母の死を、想像できていなかった。まったく、思いも寄らなかった。
小康状態というので、中学3年だった姉を病院に残して、いったんは叔母の家に泊まることになったが、寝付いてしばらくした夜半、やはり呼び出しがかかって病院に駆けつけたのだが、母はすでに逝った後だった。
母の躯を前にして、わたしが何を思ったのか。
実際のところ、よく覚えてはいない。
ただ、奥歯が痛むときのような、それでいて突き抜けたような、テレビドラマじみた演劇性が脱臼したかのような白けた感覚だけは、なんとなく覚えている。

想像しなかった死と、出会った瞬間。
と同時に、いるはずの母が、いなくなった瞬間でもあった。
未来と過去が、いっぺんに「現在」に押し寄せて来たようなものだった。

そこに、神は現れたのか。現れなかったのか。

正直、神がそこに現れたとは到底、思えなかった。しかし、影も形もなかったかといえば、そうではなかった。
ドラマチックな悲しみとはほど遠いけれど、「喪」というものの白々しさに、とつぜん捕われたのだった。

あれは、なんだったんだろう。あの感覚は。

ひとつ言えるのは、「喪」こそが、なにか(の不在)の到来を告げるものらしい、ということだ。

* * *

そこに神はいるのか。いないのかーー
答えはやはり、ない。ないのだが、少なくとも、同じ問いを、すでに亡き者、来るべき者とともに、めぐりゆく「運命」のなかで、別の仕方で、問わねばならない、それが、すくなくとも「文学」=投企的に書くことの、責任だということーーその熱、炎、愛(?)、そうしたものが燃え上がるのを感じずにはいられない。ただしそれはわたしの「外」で。

これは、「感傷」なのだろうか。(と問うことと、そう問う「言葉」を書くことの隔たり……)