いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■1000%

歌との出会いはいつも突然訪れる。チェーンが錆びたマウンテンバイクを押しながら家の門を出るときに、口をついて出た軽やかなメロディーは、『キミは1000%』(正確にこういうタイトルかどうかはわからない)。それが、心の中で口ずさんでいるうちに、いつのまにか『21世紀のマリリン』(1986年のマリリン、というのが正しいらしい。わたしの記憶は15年以上、ずれていたわけだ)に変わっている。油断するとどうしても「エンドレス・サーマー!」という"1000%"の正しい結末からそれて、"マリリン"の「あんなたのそのハート、釘づーけー」という部分に接合されてしまう。

自転車に乗った女が、向こうから近づいてくる。30歳ほどの、おそらくは人妻だ。自転車をこいで回転する膝が、飛び跳ねるたびに、膝上のスカートの魅惑的な裾が、視線を誘った。そしてすれ違おうとする瞬間、その人妻の髪が、腰に届くほど長く、まっすぐに伸び、風にそよいでいるスローモーションの映像に気づく。

サラサラとなびく、甘い髪の匂い。それを嗅ぐことはできなかった。注意力を散漫にしていた自分を責めた。

丸井に向かう秘密の抜け道。18歳くらいの若い女がやはり向こうから歩いてくる。その姿を見てわたしは、食欲が掻き立てられた。その女の肉を食おうというのではなく、その女が歩きながらひとくちづつ噛み切っては咀嚼していたクレープに、痛いほど胃液をそそられた。

カイシャで、ある女性が台湾で撮影した写真を見せてもらった。こぶし大の石で葺いた屋根が美しい。砂浜に近い民家の軒先で風にそよぐ、原色の洗濯物が美しい。軍の訓練場。地面から飛び出た突起。