いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■大魔神のことば

ホームページ(http://kakena.hp.infoseek.co.jp/)のリニューアルを試みて、途中で挫折した。時間ばかりかかって、センスのないまま残った、みじめなホームページ。でも、ほとんど誰も見に来ないのが、ちょっとした救いになっている。

中原昌也『あらゆる場所に花束が…』を読み始める。天才だ!と吹聴しているわりには、『マリ&フィフィ』しか読んでいないのは度しがたいことだが、こういうことはよくある。長編ということで、短編ほどの「軽さ。」がないようだ。少々読みづらい。彼ほどの男でも、力むというか、極限のめんどくさい感じというか、そういう抜き差しならない状態に追い込まれることがある。

眠い。

職場で、とあるセクションのナンバー2の権力を握る女性(40歳くらい)から相談を受ける。どうやら彼女の直接の上司と、やんわり衝突しているということらしい。「建設的な話し合いを」「コミュニケーションを」などという言葉を聴き、自分でも口にしているうちに、気分がわるくなった。暖房の効きすぎのせいかもしれない。こうやってわたしにしっぽりコソコソ相談をするから、かえって上司とギスギスしてしまっているのではないだろうか。人間関係悪化のスパイラルが存在することを、われわれは理解する必要がある。

自衛隊先遣隊の活動。リーダーのひげオヤジの顔がよくテレビに映る。けっこう人気が出るかもしれない。ばかばかしい。

そういえば、大魔神が「こどもといっしょにすごしたい」という理由で、米国の球団との契約を反故にして帰国するつもりだという。故障で調子を崩したが、すでにすべてを手にした大魔神は、砂を噛みながら這い上がろうという気持ちには、どうやってもなれなかったのだろう。家族思いの大魔神。美談として伝わらないことを祈ろう。

曇り。性欲、たいへん低い。