いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

親愛なるフランスの友へ / 震災当初の草稿から

震災から2年経った。震災直後、外資企業に勤めるわたしは家族とともに東京から大阪、続いて福岡に移動していた。下記はそのころ、フランス語に訳してフランスの新聞に寄稿しようとしていた文章だ。当時、各国が日本産品の禁輸措置、日本からの資金引き揚げなどの兆候を示していると報じられたことを受けて書いた。

翻訳もほぼ終わっていたが結局、出さずじまいだった。理由はおそらく、わたし自身がほどなく東京に帰ることになったからだろう。つまりこのようなものを書いた時点では、心のどこかの、ほんの一部分とはいえ、絶望していた、ということになる。
そして結局、「倫理はさておき、今まで以上に働いて、税金を納めることで復興に関わる」という、甚だ現金だが、シンプルで忘れようのない個人的な方針を立てた。そして事実、この2年、死ぬ気でと言ったら大げさだが、三度の飯を二度、または一度にする勢いで働き、会社全体では200%近い成長をすることができた。

避難生活を送っている人々の数は、2年経ったいまでも30万人以上という。
だから我々も、「まだまだこれから! 増税? ウェルカム!」という気概で前向きに進むしかない。

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親愛なるフランスの友へ

わたしは、フランス系出版社に勤めているという点では多少特殊だが、日本のどこにでもいる編集者のひとりだ。

この度の災厄に瀕し、最悪の事態を想定したフランス本社の特別の配慮により、東京から大阪に、さらに東京から1000km離れた福岡に妻子とともにやってきて、一時的なオフィスを構え、ビジネスにおけるリカバリーを目指して、どうにか働き続けている。「避難」したくてもできない人々が大半なのだから、幸運に感謝しなければならない。
日本社会が生き続けていること、被害を克服できることを内外に証明するために、可能な限りの仕事を続けるしかない。

東京はわたしの、唯一無二の故郷だ。
たくさんの友達、仕事上の仲間が住む懐かしい街。愛と憎しみの対象でもある街……。

危機に瀕した故郷を捨てて見知らぬ土地に移るのは難しい判断だった。
東京に残る者からは、裏切り者との誹りを免れないだろう。
事実、わたしは逡巡した。
すくなくともわたしの理性は、そもそも飛行機に乗るたびにかなりの放射線を浴びても普通に生きているわけだし、チェルノブイリのような原子炉の大爆発が起こらない限り、200km以上離れた東京の大気に、質量の重い放射性同位体が大量に流れ込む事など100%ありえないと考えていた。
しかし妻は違った。8歳と6歳の息子たちを持つ母の一種の本能によって、ぜひ西へ行きたいと言った。
またわたし個人にとっても、実母を30年前に亡くし、長く病気を患っていた父を昨年末に亡くしていた。
つまり、誰の人生の道程にもある、父母への心配という重大な中間地点を、わたしはすでに通り過ぎていた。
結局、会社の指示通り移動を決意した。

普段と変わらず活気に溢れた大阪の街に降り立ち、子どもたちのひとまずの安全を確保できたと実感できたときには、フランス本社の迅速な決断と配慮への深い感謝を感じ、年甲斐もなく泣かされた。自分の感情のひ弱さを実感させられた瞬間だった。

長らく、フランスはわたしの教科書だった。
15年前、パリでフランス語とフランス文明を、たった1年間だったが、学んだ。
2年間、新聞配達をして貯金した200万円ほどの現金だけを頼りに渡仏したのだ。
どうしてそうまでしてフランスへ行ったのか。
青春時代からいまに至るまで、考える事、書く事をわたしに教えてくれたのは、シャルル・ボードレール、ギュスターブ・フロベールクロード・ベルナールロラン・バルトジョルジュ・バタイユモーリス・ブランショミシェル・フーコージャック・デリダといったフランスの作家や哲学者、科学者たちだった。
日本にも、他の国にもよい著述家はいる。しかし、感情、批判されることへの恐怖や先入観にとらわれることなく、透明な目で真実を見、書くこと、すなわち戦うことをわたしに教えた先人の多くは、彼らのようなフランス人たちだった。

今回の震災につき、もし貴方が英語を解するなら、日本を代表する作家、村上龍氏がNYTに書いた以下の記事をぜひ読んでいただきたい。これは、冷静に情報を分析し伝えようとする日本の科学者や専門家たちに対する信頼を語った文章で、おそらく日本人の多くがいま思っていることを率直に代表しているものだ。
www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

ただわたしはこの文章の「全てを失った日本」という表現について、フランス流の「脱構築」、つまり感情を取り除いて検討を行いたい。

1. 東北地方全体は、大震災、大津波により、死者は1万人を超えると見積もられる。人的被害、インフラの被害は甚大だが、日本市場におけるこの地方が占める割合は日本全体の数%程度。経済的な打撃は部分的。
2. 東京および関東地方では、停電、余震、情報の混乱、物資の不足、放射能汚染への恐怖により、重大な停滞を強いられている。今後、それらが解消されればほどなく首都機能は回復する。
3. 大阪や、ここ福岡は現在のところ、事故の部分的な影響はあるものの、普段通りに社会が活発に動いている。おそらく中部以西の地域は平常。
4. この震災の影響で、日本全体での経済的な損失は20兆円前後と見積もられている。
5. 生命の危機を冒しながら被災地、原発事故現場で働き続ける自衛隊員、警察官、技術者たちを国民は信頼している。
6. 多くの専門家が、福島原発は構造上、爆発事故に発展する可能性はなく、放射性物質の流出はすでに起こっているが、100km圏外で致死的な汚染が広がる事態は考えられないとしている。ただこれについて、わたしは専門ではないから、それぞれの情報ソースに当たっていただきたい。

以上は、インターネットなどで日本人だけでなく、誰でもがアクセスできる情報だ。これらを要約すると以下のようになる。

「日本はすべてを失ったのではない。各国メディアの映像で伝えられている地獄絵図は深刻な被災状況の報道であって、日本の真の姿ではない。日本社会は深刻な打撃を受けたが、全体から見るとその被害は限定的だ。つまりわれわれはまだ、生きている」

わたしが恐れるのは、世界中の人々が現実の日本から目をそらし、ありもしない幻影に怯えて希望を捨ててしまうこと、「日本は放射能に汚染されて破滅した」ととらえて誤った方向に進んでしまうことだ。可能な限りリスクを回避するのは正しい考え方だが、明白な事実から目を逸らすことはより大きな危機を呼び寄せることにつながる。

福島原発の情報公開に関して、われわれの日本政府と東京電力は迅速とは言えず、全世界に対して多くの心配をかけているのは事実だ。しかし、わたしが親愛なるフランスのみなさんに強くお願いしたいのは、どうか、正しい情報を見つけ、真実を見、真実を愛する「勇気」を失わないでいただきたい、ということだ。

真実をありのままに見る勇気。
真実を愛する勇気。
その勇気の大切さをわたしに教えてくれたのは、ほかでもない、あなたがたが大切に育んで来たフランス文明なのだから。

2011年3月18日、福岡にて