いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■”ポジティブ”ってなんだ?

ポジティブ・シンキング」、「プラス思考」などという言葉でググってみると、けっこうな数のサイトがひっかかる。それぞれがもはや、言葉として認知されているということなのだろう。アマゾンのデータベースを「ポジティブ・シンキング」、「プラス思考」で検索してみると、あわせて実に70件ほどが検出される。基本的にイタいとしか言いようがないこうした言葉が世間にすばやく認知されていくという現象はいまに始まったことでないけれど、なんだかな、と思う。

深い教養と、飄々とした味が魅力のサイト、『余丁町散人の隠居小屋』のブログ『Letter from Yochomachi』(http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/index.html)では、「ポジティブ・シンキング」という姿勢が痛烈に批判されている。

日経新聞夕刊 (2004.3.9) で慶応大学保健管理センターの大野裕教授はいいました:

《結局のところ、ポジティブ・シンキングというのはマイナスの部分を単に無視しているだけなのだ。だからそれ以上の進歩は望めないことになるし、問題が大きくなっていくだけだ。》
近来にない名言である。常に前向きで楽観的というのは、正直、うさんくさい。(以下略)


現実とは常に、ポジティブな面とネガティブな面が入れ替わり立ち代り表れる不確実な現象に見える。だから、"ポジティブ・シンキング"と"ネガティブ・シンキング"のどちらも、妥当性のない姿勢だということはすぐにわかる。しかしまた、「ポジティブに捉えて前に進むしかない」という実際の場面も、これまたとても多いように思えてしまうから困ったものだ。たとえば企業など、ある組織のリーダーが、環境の厳しさや組織のネガティブな見通しばかりを示したとしたら、その下にいる部下たちはどこへ向かえばいいというのだろうか。リーダーのすべきこととは、厳しい状況の中でもポジティブな方向に転換できるような要素を見つけ出し、それに価値を与え、部下たちに前に進む勇気を与える以外にはない、と思う。「苦あれば楽あり、だよ」というわけ。

要はバランスなのだろうが、個人のレベルでは「進退窮まった」「最低最悪」「死ぬ」「これどん底だ」という気持ちになることは、けっこうあるのではないだろうか。その場合はたったひとつでも、それにすがって力を得ることができるような、ポジティブななにかが欲しい。それは「希望」という名で呼び慣らされている。

では恋愛は? 恋愛が、ポジティブでなければ成り立たないことは、誰しも経験によって知っている。相手の言葉を肯定し、相手の肉体を肯定し、相手の存在を肯定する。そのように、現実の不確実さを度外視して自分の欲望をあからさまにせよ自己欺瞞的にせよpositiveに肯定すること、それが恋愛だ(あまり勢いづいて言い切るほどのことでもないが・・・)。恋愛は、浮世の「常識」を離れ、逸れていこうとする欲望の軌跡なのだということかもしれない。

逆に「リアリスト」とは、現実の不確実さをそのままの不確実さとして受け入れようとする態度だ、ということがわかる。


そもそもpositiveの意味は

1 明確な, 疑いのない, 否定しがたい
2 〈陳述など〉はっきりした, 直截な
3 【A】 (比較なし) 《口語》 完全な, まったくの
Ⅱ 【P】
1 〈人が〉確信して
2 〔+【前】+【(代)名】〕〈人が〉〔…を〕確信して 〔of, about〕
3 〔+that〕〈人が〉〈…だと〉確信して

1 実用的な, 役に立つ, 実際的な
2 (将来に向けて)積極的な, 建設的な, 楽観的な
3 〔哲〕 実証的な
Ⅴ (比較なし) 〔文法〕 原級の
Ⅵ (比較なし) 〔数〕 正の, プラスの (⇔negative)
Ⅶ (比較なし) 〔電〕 陽電気の, 陽の (⇔negative)
Ⅷ (比較なし) 〔医〕〈反応の結果が〉陽性の (⇔negative)
Ⅸ (比較なし) 〔写〕 陽画の, ポジの (⇔negative)
Ⅰ 【C】 《文語》 現実(物); 実在.
Ⅱ 【U】 (性格などの)積極性, 積極的側面.
Ⅲ [the 〜] 〔文法〕 原級.
Ⅳ 【C】
1 〔数〕 正数.
2 〔電〕 陽電気; (電池の)陽極板.
3 〔写〕 陽画, ポジ.
【名】
語源
ラテン語「置かれた」→「決まった」の意
(New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998 より抜粋)

ということらしい。

欧米の言葉の意味を知るには、語源を調べるのは有効な手段だ。……とか言いながら今回、positiveという言葉を調べていて、ウェブ上にはいくつかかなり便利な語源辞典があることを知ったという体たらくだ。語源辞典(etymological dictionary)にこうして、どこからでも無料でアクセスできるという事実だけをとっても、インターネットというものが、すくなくともわたし個人にとっては楽しみを与えてくれるものだということがわかる。それにしても、いままでまったく利用していなかった自分のふだんの知的怠惰を考えると、気持ちが暗くなってしまうが・・・。

以前、音楽用語のcadenceや、decadanceの語源で「落ちる」という意味のラテン語cadereの広がりを知り、とても感動したことがあった。たとえば「リズミカルな」という意味のポルトガル語の形容詞cadenciado。語源であるcadereをイメージすると、たとえば踊り手の背後で音楽が終局(cadence)に向かって「落ちていく」ときの、踊り手の足の運びの力強さとはかなさの入り混じった律動が、映像のように浮かび上がり、胸に迫るものがある。語源は、ひとつの言葉の一生を、スローモーションで見せてくれるものだという気がする。

日本語版の英語語源辞典としては、スペースアルクという英語教育サイトに『語源辞典』というコーナー(http://home.alc.co.jp/db/owa/etm_sch)がある。英語のサイトに範囲を広げると、『ONLINE ETYMOLOGY DICTIONARY』(http://www.etymonline.com/)はさらにすばらしい。positiveの項はこうなっている――

positive - c.1300, a legal term meaning "formally laid down," from O.Fr. positif (13c.), from L. positivus "settled by arbitrary agreement, positive" (opposed to naturalis "natural"), from positus, pp. of ponere "put, place." Sense broadened to "expressed without qualification" (1598), then "confident in opinion" (1665); mathematical use is from 1704; in electricity, 1755. Psychological sense of "concentrating on what is constructive and good" is recorded from 1916. Positivism (1847) is the philosophy of Auguste Comte, who published "Philosophie positive" in 1830.

 この内容をかいつまんで日本語で書くと、まず語源は「置く」という意味のラテン語ponere、あるいは「任意の合意に基づく決定」の意のpositivus(反意語はnaturalis=natural)だということ。13世紀に、positivusから派生して「正式に規定された」という意味の法学用語として使われ、それが16世紀に「無制限に明示された」の意味に拡大、さらに「(意見を)確信して」(17世紀)、数学での正負の意味(18世紀)、電気での陽(18世紀中)と広がる。一方オーギュスト・コントによって"実証主義"=Positivismという哲学的な意味が付与される(『実証哲学講義』1830年、『実証主義』1847年、)。さらに20世紀初頭から「建設的でよい行いへの専念」という心理学用語として使われる。

これらをごく乱暴にまとめてしまうと、positiveのもつ意味のイメージは「しっかりと据え置かれた基礎・始点(ゼロ地点)の上になにかを建設していく」ということになるのではないだろうか。つまり、「確実な基礎がある」という前提がある、という確実な前提にもとづく(トートロジーになってる^^;)・・・こうした楽観性こそが、positiveという状態が成り立つのに不可欠だということだ。その楽観性はまた、positiveの反意語、negative(マイナス、陰極)の源泉ともなる。

たとえば数学という、規則の支配する体系の中では、ゼロを仮定して、その上に築き上げられるもの=正数(positive)、そしてその反映としての負数(negative)を考えることは当然可能だ。しかし現実には、ゼロが、ない。そこにあるのは、歴史として流れていく時間だけであって、基点となる「ゼロ」を置くことは、残念ながら(?)できない。それでもその時代ごとの「ゼロ地点」が存在するように見えるのは、時代のエトスが作り出した、「かなりの硬さを持った幻想」、フーコーエピステーメーと呼んだ、歴史の作り出す「見かけ上の地平線」なのだろう。

同時代で共有される「ゼロ地点」のほかにも、故意に、意識的に基点を作リ出す場合は多い。さきほどの企業活動の話などはその典型だ。戦いの場において強くあろうとすれば、「かなりの硬さを持った幻想」を意識的に措定し、その上にpositiveな戦略を打ち立てることが必要となる。

しかし少なくとも論理的には、ポジティブな姿勢をもつことは最初から不可能なのだ――そこに不安の源泉がある。さらに「かなりの硬さを持った幻想」が崩れ去ったあとでは、幻想や規則の上に成り立つはずのpositive/negativeななにかがそもそも生まれないために、positive/negativeの両極で揺られながらバランスを保つという姿勢すら成り立たなくなる。バカの一つ覚えのように「ポジティブ」が求められる現在は、不安に満ちているだけでなく、バランスをも著しく欠いている、ということなのだろう。

positiveという言葉が確かさを失い、positiveが求められる状況というのは、戦略的に見れば「かなり不利な形勢」だということを、わたしたちは認識していなければいけないのかもしれない。