いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■親になることは悲しみの種であるところの想像の翼を広げる

親になってひとりの人間のことを常に気にかけなければならない状況に追い込まれれば、人は不可避的に想像の翼の幅を広げなければならなくなる、と思う。ただしその翼は、より遠いところにある悲しみを捉えるためのものだ。しかしそう思えることも、なんらかの理由で子どものことを心の中から追い出さなければならない状態からくらべれば、恵まれている証拠なのかもしれないが。

以下、断片。

イラクに関連した一連のできごと。イラクで人質となり、解放されたのちは帰国して厳しい批判にさらされた邦人たち。刑務所で米兵に虐待を受けたイラク人たち。そして、殺害されたイタリア人人質といまだ拘束されている人々。

少年の手で殺された小学5年生の土師淳君、4歳の種元駿君。

彼らには落ち度がない。だからこそ彼らの親の苦しみはいっそう深く癒しがたいものになるのだろう。

イラクでもチェチェンでも、「掃討」と言う言葉が平気で使われている。掃討とは皆殺しという意味だ。

モスクワ劇場占拠事件(ノルド・オスト事件)を思い出す。夫たちを皆殺しにされた若く美しい未亡人たちが、銃を持って人質を取り、やがて彼女たちもまた皆殺しにされた。雑草の根を抜くように。

草の根が地深く生き続けるように、死霊もまた生きているのだ。わたしたちのすぐそばに、霊は生きている。霊は嘆き、悲しみ、怒り、助けと慰めを求め、復讐する。

わたしたちは、死者を畏れるということを、はじめから学ばなければならないのではないだろうか。死んだ子どもたち。死んだ親たち。死んだ夫、死んだ妻たちのことを。

わたしの想像の悲しい翼を無理にも広げようとする年端の行かぬ子どもの新鮮な肌によりそうように、嘆きの口を開いた死んだものたちの優しい影が伸びている。