いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

アスベスト館が競売に!? の巻


イスラエルが大変なことになっている。自爆テロイスラエル軍による攻撃が頻発するので、報道を聞く側も麻痺しているところがあるが、通勤客を乗せた路線バスが爆破されるなど、それ自体大惨事だ。あるいは、生誕教会が攻撃されて怪我人を出すなど、言語道断な様相になってきた。これほど増幅した恨みつらみの呪縛が解けていくには、一世代かかってしまうかもしれない。

4年ほど前に話をしたイスラエルのゲーム会社の社長は、「きみは、50mしか離れていない場所から、他人に石を投げつけられたことがあるか?」とわたしに問うた。インティファーダ(子供も含めたパレスチナ人による投石攻撃)が与えた複雑な影響を物語る問いかけだが、確かに当事者でなければわからないなにものかがあるはずだ。すくなくとも、「外」から断罪することなど、できはしない。

朝日新聞の夕刊によると、土方巽が創始したアスベスト館が競売にかけられるそうだ。アスベスト館といえば、大野一雄ギリヤーク尼崎麿赤児らが輩出しただけでなく、三島由紀夫澁澤龍彦瀧口修造らも集った一大文化拠点でもあった。また、土方巽の舞踏は、「あのころはああいうのが流行ったよね」と言ってすまされるたぐいのものではない、と思う。

フランスに住んでいたころ、当地でそれなりに認知されている日本の文化というのは、クロサワ、ミゾグチ、オオシマ、キタノの映画であり、オオトモやドラゴンボール、コウカクキドウタイといった漫画・アニメ、テレビゲーム、そして舞踏であった。欧州の人間たちにとっての日本は、それらのゲージュツを除いたら、スシ、フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャ以外ほとんどゼロだ。今でもそれくらい遠い国なのだという印象をもった。タニザキ、オオエの文学などは、よほどの好事家以外読んだことも聞いたこともないだろう。

このニュースを読んで、わたしはとても恥ずかしい気持ちになった。いわゆる「日本を代表する文化」が、「不良債権」として処理されようとしているわけである。確かにわたしは、舞踏のよい理解者ではなかったかもしれない。また、一国の文化の将来を愁うる柄でもないかもしれない。わたしは、土方の仕事について、これまで間接的にしか知らなかった。それは麿赤児山海塾ダムタイプ伊藤キムら、土方以降の人々の仕事や、土方自身が書いたもの、それから断片的な映像によってだけだ。しかし、当の舞踏家たちにしてみれば迷惑な話かもしれないが、舞踏は20世紀を表現する、いいサンプルだと思っている。

舞踏はまず、生きて動く身体である。そして同時に、土方自身のことばによれば、「突っ立ったままの死体」である。それはまさに、わたしたち自身の姿であると思うのだ。大量消費、大量虐殺の時代に生まれたわれわれは、そこかしこで消費を行い欲望を満たす微かな自由を、労働と引き換えに得た金銭によって手に入れはしたが、それと同時に、消費社会を実現する代償として大量死に追いやられた死者の影として生きているのだ。

アスベスト館のホームページでは、この問題の事情を、現在アスベスト館を経営している故土方の夫人、元藤菀子さんが説明している。有志で「アスベスト館支援実行委員会」(仮)の結成を準備されているとのことなので、なにか変化があればこの場でお知らせしようと思う。