いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

- テルアビブ、1998年 (2)

「で、いつ出発なんですか?」
「今週の土曜」
「え? 今日、木曜日っすよ」
「急な話なんだけど、って言わなかったっけか?」
「聞いてましたけど……明後日にイスラエルに行けってことですか? びっくりですよそれはもう」
 その実陽介は、驚きはしなかった。陽介の職場――編集長を含めても六名しかいない、発行部数は三万部がせいぜいという月刊のビジネス情報誌の編集部では、あらゆることが場当たり的だった。雑誌が売れない場合、誰の責任かということですらあいまいだった。編集部での会話の半分くらいは、営業部に対する不平だった。そして営業マンたちは、その一・五倍くらい、編集の無能さをボヤいていることだろう。もちろん社長も、雑誌の編集方針やら読者層などにはチンプンカンプンだった。だからここでは、たとえば会議室の空気が、ほとんどの権限をもっていたといっていい。夏の熱い日に、空調の調子が悪いと、ヤケクソのような企画ばかりが提案された。営業は当然のように、部数を絞った。締め切りを守る編集者はひとりもいないし、校了日の早朝に印刷所の営業担当者からかかってくる電話に出る者もいなかった。
 自分はこんなところで、一体何をやってるんだ?――陽介がそう自問するのは、校了がすんでから数日の間だけだった。そういう疑問は、取材先へのアポ取り、取材、打ち合わせ、原稿整理、ポジフィルムのスキャン、校正のチェック……そんな文字通りのbusinessに押し流されるだけだった。

 飛行機の乗り継ぎのため、何年かぶりにロワシー・シャルル・ドゴール空港のデッキに降りてフランス語のアナウンスを聞いたとき、解放感と緊張感とでエスカレーターのステップを踏む陽介の足取りはおぼつかなかった。空港の窓から見えるパリ郊外の空は、鼠色だった。何年か前に見上げていたのと同じ、不景気な空だった。
 空港のカフェに飛び込み、家を出る前に財布に放りこんでおいた十フラン硬貨をレジ係の太った女の手のひらに置いた。店の中央のスツールに腰掛け、左右を通り過ぎる旅客を気にして肩をすぼめながらエスプレッソをすすり始めた陽介は、前方の壁ぎわにひとりで腰掛けてメモ帳になにやら書き付けている若い大柄な女を見ていた。栗毛色の長い金髪を大きく巻いてアップにしたその女の、高い鼻とくっきりとした目鼻立ち、それになにより、糊の利いた白いブラウスがピッタリと張りついて狭苦しそうになっている豊かな胸はまるで、グレタ・スカッキのようだと陽介は思った。頭を上げ視線をメモ帳に落として熱心に書き付けていた女がふと視線を上げて陽介と目があった。陽介は、女の目に怪訝な色が表れるまでじっと見つめ続けた。
 搭乗の時間が近づき、電光掲示板を見上げても、「TEL AVIV」の文字は見当たらない。しかし、陽介はあまり驚かなかった。あぁ、やっぱり。そんな気持ちだった。通りすがりの空港スタッフにチケットを見せて訪ねると、「これは違う」と言い出した。一瞬、チケット自体が無効なのかと陽介は思った。実際には、テルアビブ行きの搭乗口は、他の国際線とは別の場所にある、ということだった。
 第二ステーションの通路、エスカレーターを、迷路を進むように、方角もわからないまま説明された通りに歩いていくと、グレーの壁とガラスばかりが目立つがらんとしたスペースに出た。人影はまばらだった。なにか別の用途で作られた場所を搭乗口に転用しているという印象だった。
「Bording」の文字が、黒い電光掲示板の上に浮き上がった。パラパラと、人影が集まってくる。すでに観光シーズンは過ぎているはずだから、ここにいる多くは、仕事や帰省、要するに生きるためにヨーロッパとイスラエルの間を行き来する人々なのだろう。その証拠に、彼らの多くは男で、日本では見たこともないようなバカでかいボストンバッグを、ひとつふたつと、ほとんど無理矢理肩からぶら下げて機内に乗り込み、座席の上の荷物入れに次から次へと放り込んでいく。ユダヤ帽を被った髭の濃い男が放り投げた、全長一メートル以上もある白黒ブチ柄の巨大な犬のぬいぐるみは、陽介の目の前で高々と宙を泳いで荷台に吸い込まれた。

 陽介たちを乗せた機体は、紺色の地中海を覆っているはずの闇を突き抜けて旋回しながらベングリオン空港に滑り降りた。陽介は、自動小銃を構えた警備員が並んでいる前を歩きながら、「国民」と分け隔てられた「異邦人」用の入国審査の長い列に入った。ようやく自分の番を迎えた陽介は、パスポートに一枚の紙切れを差し挟み忘れたことに気づいた。これは中東を旅行する者にとって、よく知られた失策である。イスラエルの入国証明の印が押されたパスポートでは、ほとんどのイスラム教国には入国できないことが常識とされている。陽介のパスポートのように、まだ七年以上も有効期限の残っている状態では、なおさら「もったいないこと」となる。疑り深い目で早くも陽介の様子をうかがい始めている若い女性係官の前で、陽介は早々と紙切れをポケットから探し出すことをあきらめてしまった。「仕事だから」という陽介自身が取り立てて重要とも思っていない理由が大きな文字となって陽介の頭の中を占有し、怠惰を助けていると感じた。このことによって、未来の自分が保持しているはずの権利だけでなく、イスラエルイスラム教国のどちらにも荷担しないという自由をも、輪郭のあいまいな「仕事」という文字が打ち消そうとしていた。怠惰はまず、人間から自由を奪うものなのだ。
 陽介がたとえ瞬時とはいえ忠誠を示した入国審査官は冷徹に陽介を追い返し、軍服を着た別の女に引き渡した。その女の軍人は、どう見ても二十二歳より上ではなかった。要するに小娘だったが、眉間に刻まれた皺と目つきのキツさは、一通りの軍事教練をくぐり抜けてきた厳しさを漂わせていた。
 少し離れた場所に置かれたテーブルの上に手荷物を広げさせられた陽介は、パスポートを広げて陽介の顔と交互に見比べているこの若い女に、入国の目的に始まって、今後の訪問先、毎日の日程、イスラエルを訪問することになったいきさつ、シャルル・ドゴール空港で誰かと接触したかどうか、イスラエルで行う仕事の内容、これまで入出国してきた国々の訪問理由、フランスでの就学ビザと米国の報道ビザを取得したいきさつなどを、まさに根掘り葉掘り英語で質問してきた。陽介は「イスラエルの駐日経済公使ヨシュア・ベン・ダビッド」という、どう見ても国のお偉方のひとりに違いない人物から招待されて来ていることを最初に力説したが、その女の厳しい目の色はチラリとも晴れる気配がなかった。質問が進むうち、陽介の答えはしどろもどろになってきた。
 女はこう言い放ったのだ。
「あなたの説明に本官は到底納得できません。すなわち、あなたは先ほどから経済やハイテクを中心とするビジネス雑誌の編集を行っているとする一方で、それほど遠くない過去にフランスへ一年間の留学をしていらっしゃる。それも経済学でもコンピューター工学でもなく、外国人向けの文明講座で、提出した論文のテーマは『二十世紀における哲学的変転』だとおっしゃいました。それがあなたの日々の業務、すなわちビジネス雑誌の編集にいかばかりの関係があるのか。延いては今回の本国訪問にいかばかりの関係があるのか……あなたはそれらの点について、筋道だった説明をなさいませんでした」
 陽介はそれを聞いて弱気になった。実際、自分はこれまでの数年間、何をしてきたのか。そのすべての記憶を今、失いつつあるような感覚に囚われた。確かに記憶のいくつかは鮮明とさえ言えた。けれどもその記憶の映像はまるで、数年前に一度だけ試写室で、居眠りの合間に浮かび上がる意識で観たというだけの、つまらない映画の断片がもつ鮮明さと変わらなかった。
 数十分後、ようやく女軍人は「行って構いません」と慇懃な様子を見せて陽介にパスポートを返した。トランクをピックアップした陽介は、出口近くに「Mr・NARATATE Ms・YOSHIMURA Mr・ONO」とマジックで大書された紙を掲げた四十歳ほどの女の姿を見つけた。陽介はその女の正面に近づき、笑わずに「ミス・タミラ・レビボ?」とぶっきらぼうに言った。女は口を閉じたままの笑顔を見せてから「イエス。ミスター・オノ? ウェルカム・トゥ・イスラエル」と、冗談とも本気ともつかない答え方をした。タミラの着ている短い半袖の麻のブラウスの赤い色が、陽介の目に沁みた。  (以下続)