いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

神とは。精神とは。

神とはなんだろう。
神は本当に「存在する」のか。
神は本当に「存在しない」のか。
誰もが抱く、幾分ナイーブな問いだ。

こんなことを言い始めると、おせっかいな人々は忠告するだろう。
ーーこの期に及んで、またぞろ「死んだはずの神」を引っ張りだそうとするのか。ニーチェの教えを忘れたのか。
ーー終わったはずの形而上学をまた、と。何を無駄なことを、と。

しかし「911以降」、同じ中東の神(ヤハウェ=エヒイェー)、そしてその神の子、あるいは預言者イエス・キリストマホメット)の子孫たちが争っている現実があるのを、「終わった問題」、「結論の出た問題」とすることに、いかばかりの正当性があるのかと、わたしは逆に問いたいのだ。
もちろん、「イスラム原理主義者」によるテロ行為と、「キリスト教国」による掃討作戦という名のテロ行為の戦いを、宗教戦争になぞらえることは危険かもしれない。しかし少なくとも、21世紀の現実の中で、神について新たな思考を巡らすことを禁ずるものではないはずだ。

むしろ無神論の嵐が一通り去った(つまりあまねく行き渡った)現代こそ、「存在」と「不在」の狭間にある、あるいはそれらをまたぐ神について、考えるべき時ではないのか。
そして、イスラエルの置かれた(いまだ潜在的ではあっても深刻な)政治的・軍事的危機にあって、「神のありよう」をいまひとたび検討することは、無駄であるというよりはむしろ必要とされる議論であるとすら思う。

。。。などと市井の(それも年甲斐もなく文学にかぶれた)一オッサンであるわたしのような者が、唾を飛ばして喚いているのも甚だ滑稽な絵ではあるが^^;

先日からのエントリーで、古代ヘブライ語エマニュエル・レヴィナスの言葉を引きながら繰り返し述べて来たのは、「神は『在る』のではなく『在ろうとするもの』」だという点だ。そしてレヴィナスの獲得したメタファーである「不眠」を敷衍するならば、神は「いつ現れるかもわからない、ひょっとしたら現れないかもしれない、我々の「時」を外側から見る視線そのもののような、覚醒なき覚醒のような存在、それも、『不在と同義の存在』である」という、こととなる。

これは、自明のことだろうか。
あるいはそうかもしれない、と思う。
「神は、出現の可能性、出現の不可能性そのものだ、つまり我々の生きている現実、時に『神も仏もありゃしない』と嘆き、時に『もし神があるなら最後にこれだけは……』と祈りを捧げる現実、人生、そのものじゃないか」というわけだ。

このような思考、このような神は、たとえばハイデガーのいう意味での「実存者」ではない。
すでにレヴィナスが「実存なき『実存すること』」と言ったとき、ハイデガー的な実存者は、存在を思惟するのではなく、「実存なき『実存すること』」によって「見られるもの」となっていたのかもしれない。

ハイデガーがついに避ける(vermeiden)ことの決してできぬもの、避けえぬものそのもの、それは精神のこの分身、GeistのGeistとしてのGeist、常に自らの分身を伴って来るestpirt[精神]のesprit[亡霊]としてのesprit[精神=亡霊]ではないのか? 精神は自らの分身である。
 (『精神について』 ジャック・デリダ 人文書院刊 p66)

ここまでの議論では、「ではわれわれの存在とはなんなのか?」という問いには、成立し得ぬ否定法でしか答えられない。つまり、「存在ならざる存在にとって他なるもの」としか言い得ない、ということだ。
ここで、存在と不在の間を行き来する、デリダのいう「亡霊=精神」こそ、われわれがここまで探って来た「神」にほかならない。あるいは、「正義」だ。

亡霊はけっして死なないということ、それはつねに来るべきもの、再来すべきものであり続けることを、である(『マルクスの亡霊たち』 ジャック・デリダ 藤原書店刊 p214)



 それをやり残したというのならば、それ、すなわち生きることを学ぶ=教えることは、生と死との境でしか起こりえない。それは、生のみのなかでも、死のみのなかでも、いずれのなかだけでは、起こりえない。二者のあいだで、そして人が望みうるあらゆる「二者」のあいだで起こることは、生死の境で起こることのように何らかの幽霊によってしか維持されることはできず、また何らかの幽霊を語ることしかできない。したがって、精神=霊たち[les esprits]のことを学ばなければ=教えなければならないだろう。たとえ、そしてとりわけ、それすなわち亡霊的なものが存在しないとしても。たとえ、そしてとりわけ、実体でも本質でも存在でもないそれが、その現在=現前する後見人[present tuteur]なき時間は、この導入がそこにわれわれを引き込むように、次のことに帰着するだろう。すなわち、幽霊たちとの面談=維持[entretien]、交際、仲間づきあいのなかで、幽霊たちとの交流なき交流のなかで、幽霊とともに生きることを学ぶ=教えることに。別様に、そしてよりよく生きることを。いや、よりよくではなく、より正しく生きることを。あくまで彼らとともに。かつてなかったほど共在なるもの一般を謎めいたものにするこの<ともに>なしには、他者との共在はありえず、仲間=社会要素[soucius]はありえない。そして、この亡霊との共在はまた、<単に>そうだというわけではないが、記憶の、相続の、世代=生殖(ジェネラシオン)の政治学<でも>あることになるだろう。

 私が、幽霊と相続と世代=生殖について、幽霊のいくつもの世代=誕生、すなわちわれわれの前にも、われわれの内にも、われわれの外部にも現前しておらず、現在生きていないある他者たちについて、これから長々と話そうとしているのは、正義[justice]の名においてである。まだ存在しない正義、まだここにはない正義、もはやここにはない正義、すなわちもはや現前せず、法[loi]におとらず法律=権利[droit]にも還元できないところにある正義の名においてである。(中略)よっていかなる正義も、何らかの責任=応答可能性[responsabirite]の原理なしには可能ないし思考可能には思われない。(中略)生き生きとした現在の、自己に対するこの非-同時性がなければ、その現在の正確さをひそかに狂わせるものがなければ、ここにはいない者たちーーすなわち<もはや>あるいは<まだ>現前してはおらず生きていない者たちーーへの正義のための責任と敬意がなければ、「どこに?」、「明日はどこに?」(<>)という問いを立てるどんな意味があるというのだろうか。

 その問いは到来する[arrive]、それがかりに到来するならば、それは<未-来[a-venir]>のうちにやって来るであろうものについて問いを立てる。未来の方を向き、その方へと歩みながら、その問いは未来から来てもいるのであって、それは未来に由来するのだ。したがってそれは、自己への現前としてのいかなる現前をもはみ出していなければならない。(中略)すなわち、自己への不一致においてのみ。(同書 p12-14)

ここに至って、わたし自身が数日前に抱いた疑問にまた、立ち戻ることになる。
運命が、ふいに回り始めたとき、いったい何が起こっているのか。
そこに神はいるのか。いないのか。

幼い頃、実母を亡くした(こう何度も書くと、同情もされなくなるだろうがw)。
30年前、小学5年生だったわたしは、東京では珍しいひどい大雪の日に、授業中に教員から呼び出された。
入院中の母が、危篤だという。
その知らせ自体、わたしには晴天の霹靂だった。
幼さ故の愚かさで、入退院を繰り返していた母の姿を見ながら、母が死ぬ、という事態を、そのときのわたしは想像してもみなかった。
危篤状態で病床に臥せった母を見舞い、次々に現れる親族たちはみな、彼女を哀れむと同時に自分をも哀れんで泣きくれていたのをよく覚えている。それでも、わたしは、頑固なまでに、母の死を、想像できていなかった。まったく、思いも寄らなかった。
小康状態というので、中学3年だった姉を病院に残して、いったんは叔母の家に泊まることになったが、寝付いてしばらくした夜半、やはり呼び出しがかかって病院に駆けつけたのだが、母はすでに逝った後だった。
母の躯を前にして、わたしが何を思ったのか。
実際のところ、よく覚えてはいない。
ただ、奥歯が痛むときのような、それでいて突き抜けたような、テレビドラマじみた演劇性が脱臼したかのような白けた感覚だけは、なんとなく覚えている。

想像しなかった死と、出会った瞬間。
と同時に、いるはずの母が、いなくなった瞬間でもあった。
未来と過去が、いっぺんに「現在」に押し寄せて来たようなものだった。

そこに、神は現れたのか。現れなかったのか。

正直、神がそこに現れたとは到底、思えなかった。しかし、影も形もなかったかといえば、そうではなかった。
ドラマチックな悲しみとはほど遠いけれど、「喪」というものの白々しさに、とつぜん捕われたのだった。

あれは、なんだったんだろう。あの感覚は。

ひとつ言えるのは、「喪」こそが、なにか(の不在)の到来を告げるものらしい、ということだ。

* * *

そこに神はいるのか。いないのかーー
答えはやはり、ない。ないのだが、少なくとも、同じ問いを、すでに亡き者、来るべき者とともに、めぐりゆく「運命」のなかで、別の仕方で、問わねばならない、それが、すくなくとも「文学」=投企的に書くことの、責任だということーーその熱、炎、愛(?)、そうしたものが燃え上がるのを感じずにはいられない。ただしそれはわたしの「外」で。

これは、「感傷」なのだろうか。(と問うことと、そう問う「言葉」を書くことの隔たり……)

不眠が覚醒なき覚醒として、不在が存在に先行する不在として「ある」とはどういうことか

iTunesストアを開くと3位に「小柳ゆき」がランクインされていて、ちょっとビックリ。
近年の日本人女性歌手といえば、すばらしい才能が目白押しだ。思いつくだけでも、絢香青山テルマ、juju、加藤ミリヤ木村カエラ西野カナ、枚挙にいとまがない。個人的な好みを言えば、たとえばjujuには、感情表現の見事なコントロールなどに、尊敬の念さえ抱く。

そんな洗練されたセンスを持った彼女たちにくらべると、さすがに10年前に小柳ゆきが歌い上げた『be alive』には、泥臭さすら感じるが、しかしそこにこそ例えようのない魅力を感じる。たぶん同じように感じている人の数は、彼女の現在の知名度にくらべるとずっとずっと多いんだろうね。
なぜ人はそんなに「歌」にこだわるのか。「歌」のもつ何が、ここまで人を引きつけるのか。
小柳ゆきの歌声を聴いていると、なぜかそういう根本的なことを考えさせられる。ヤンキーっぽいセンスとか、黒人音楽からの影響とかとは、ほんとにあんまり関係ないことなわけだが。

そんなことはしかし、どうでもいい。

不眠は、それは決して終わることがないだろうという意識、すなわち、もはや自分の捉われている覚醒状態[目覚めている状態]から抜け出るいかなる手だてもないという意識から、惹き起こされる。何の目的もない覚醒状態。そこに釘付けにされた瞬間、人は自分の出発点あるいは到達点といった考えをすべて失ってしまう。過去に接合された現在は、全面的にその過去の継承[相続]なのである。
(『時間と他者』エマニュエル・レヴィナス 法政大学出版局刊 P15)

不眠というメタファーをレヴィナスが見つけた、あるいはレヴィナスが無時間的な不眠を「実存者なき<実存すること>」、「il y a」、あるいは「他者」という言葉で言い表そうとstruggleしないではいられなかった、ということが重要だ。

もちろんこれを「時間以前の時間」「時間を外側から見る視線」などとパラフレーズしてみてもなにかをとらえたことにはならないのかもしれないが、少なくとも先日ここで引用した前島誠の言葉にあるような古代ヘブライ人にとっての神=エヒイェー=「あるであろうもの」と、密接に響き合っていることは示しうると思う。

そもそもリトアニア出身のユダヤ人であるレヴィナスが、古代ヘブライ語の「未完了形」で神が自らを名指したことを知っていたとは十分に考えられるし、知っていたと考えるほうがむしろ自然かもしれない。だからこそここで、ひとつの疑問が湧く。

「なぜレヴィナスは、il y a(aはフランス語のavoir[持つ]の三人称単数・直接法現在)を選んだのか」

もし「il」という非人称代名詞の中性性に呼応し、かつヘブライ語の未完了形の意味するものを担わせる意味で「il y 」というように「原型」を用いて「実存者なき<実存すること>」を語ったとしたら、彼の哲学は、また別様のものになっただろう、という想像をすることさえできる。

とはいえ、「レヴィナスは、彼の倫理哲学(他者は主体に先行する、主体は他者に対して責任をもつ)を打ち立てるために、あえてヘブライ語には言及せずに『現在』という時間概念を持ち込むことで、カッコ付きの「他者」に、日常に存在する「他人」という実在性を付与した(=故意に混同した)のではないか」という疑念を差し挟んだとしたら、安手の「哲学ミステリー」というレベルの想像に過ぎなくなってしまうのかもしれないが。だいたい、そんな単純な話であるはずもないし、世のレヴィナス信奉者から石を投げつけられるかもしれない^^;

本題に入る前に、また眠くなってしまった。。。
次回はデリダの存在論批判なども見ながら、引き続き「神」について考えたい。

来るべきもの、来るべきとき、あるいは「待つ」こと

「運命は、」などと書き始めることの気恥ずかしさはとりあえず置いておくことにして。
運命は、ふいに回り始める。
この事実、いや、「経験的に知った、現実に対するある種の印象」ばかりは、どうにも打ち消しようがない。
笑うくらい打つ手がない、とすら言える。

生活の上でのさまざまな計画。たわいもない、取るに足らない、小さな欲望の痕跡。
それを嘲笑するかのような唐突さで、運命の風向きは変わる。
目に見えぬ大きな力によって嘲弄されることへの空しさすら、感じる余地がない。

運命を司っているのは、どうやら恐ろしいほどにありふれた、単なる偶然なのだ。
ペンキで落書きされた「神の不在」とでも言おうか。


たまには、ひどく常軌を逸したポジティブシンキングというものを試してみよう。
「神の不在というのは、本当は全然違って、神の存在があまりに大きいので『神はいないのだ』としか感じられないのではないか」
そんなストーリーの絵本があったら読んでみたい。
ただ、「大きすぎる神は、砂粒のような存在にとって無きに等しい」というふうにパラフレーズしてしまうと、とたんに暗い物語になってしまう。

母の、三十回忌(いったい俺は何歳なんだという話^^;)まであと4日。
「お母さん、あなたの顔は忘れてしまいました」と墓前でついこぼしてしまうほど、時が経った。
ほんの十歳ほどの子供だった自分は、身の回りの大人、友人たちに哀れまれながら、その実、自分を哀れみの中に投じた母の死の実感が、どうしても、どうしてもつかめず、焦ったものだった。それほど、幼かったのだ。

いまその子供が人の親となり、あどけない子供を残して逝くという唐突な偶然に出くわすことを、想像することが可能になった。
母が、死を前に感じていたもの。
それは悲しみ、だろうか。
苦しみ、だろうか。
孤独、だろうか。
心配、だろうか。
痛み、だろうか。
あるいは、ホッとした?

そのどれもが、思い当たる。そのすべてであるようにも、思う。そのすべての感情が、偶然のように、降ってわいたのかもしれない。「失われたとき」の「私」が、紅茶に浸したマドレーヌを口にしたときに「偶然」感じたのと同じような、唐突な感情に。

記憶のカーテンの向こうで、くるりとこちらに背を向けて歩き去っていく母の微かな後ろ姿を思うとき、母が自分を生み、その自分が他愛もない生を生きている、そのことの、取るに足らなさ、あまりにも、あまりにも取るに足らないこの世の生と、死の、むき出しの、明白な偶発性に、とてつもない畏怖の念を感じざるを得ない。

前島 誠という神学者の『不在の神は“風”の中に』という本がある。
http://d.hatena.ne.jp/asin/4393332296
ほんの百数十ページのエッセイ集である。しかしわたしは、この作品を忘れることができない。
少々長くなるが、本書のタイトルの意味を正しく伝えるために引用しよう。

 ミデヤンの羊飼いモーゼは、荒野にわずかな草を求めてホレブ(シナイ)の山の麓まで来る。そこで彼は、燃えるしばの中から呼びかける神の声を聞いた。イスラエルの民をエジプトから脱出させよ、とその声は言う。モーセは尻ごみをしてことわろうとするが、神はオレがついているから大丈夫と言う。そこでモーゼは問う。
「民が『その名は何か』と尋ねたら、なんと答えましょうか」
 神々にはそれぞれ名前があった。黄泉の神イシス、太陽の神ラー、嵐の神バアル、愛の神アシュタロテなどなどだ。名はその者が存在する証、名のない神など存在するわけがない――当時はそう考えられていた。だが神の答えは、およそ名前というにはほど遠い。
「わたしはある(原文「ある」に傍点)、わたしはある(原文「ある」に傍点)という者だ」(出エジプト記3章14・新共同訳)
 ふしぎな自己紹介だ。ところでここに見逃せない翻訳上の問題がある。それは動詞の時制が現在形(原文「現在形」に傍点)に訳されてしまったことだ。羅英独仏などどの翻訳をとっても、すべて「ある」と訳出している。だが原典の古代ヘブライ語には、もともと現在形は存在していない。
 一般に使用される〈過去・現在・未来〉という三時制、ヘブライ語にはそれがない。すべての行動の様態を基準にして考え、わざの内側から生み出される時としてとらえる。外側から人間を規制する枠ではなく、むしろわざの中にあるという感覚だ。そのわざが、完結しているかいないかによって、完了形と未完了形の二つの「相(そう)」に分かれるだけである。そこでこの引用句、原文ではどうなっているかを見てみよう。

EHYH・AShR・EHYH(エヒイェー・アシェル・エヒイェー)

 エヒェーは英語のbe動詞に当たり、活用の相は一人称単数・未完了形(傍点)である。未完了形は、まだ完了していない行為、くり返す行為、継続する行為の始まり、さらに願望、可能、命令の意味にも使用される。日本語に訳すなら「ある」ではなく、「あるだろう」とする方が順当だ。したがって文章全体では、
「わたしはあるだろう、わたしがあるであろうように」
となる。この違いは重大だった。
「ある」というなら、神は「すでに存在している」ことになる。別の言い方をすれば、いつも変わらず存在しているということだろう。だが、エヒイェーには、そうした意味は含まれていない。

(『不在の神は“風”の中に』前島誠 著 春秋社刊 P5-P7)

。。。なんとなく中途半端なエントリーになっちまったが、眠いので今日はここまで。ではまた。

デリダの「詩と真実」

くどいようだが、デリダの「憑在論」は、やはり彼一流のジョーク、ダジャレである、と思う。
そしてまたくどいようだが、20世紀末に生きた人間の「考え」にとって、とても重要な概念でもある。
マジメに考えてもしかたがないような言葉遊び、冗談を、概念=考えるための武器とすることは、とても重要だ。
思考が自由である、というとき、そこには「遊び」がなくては、ウソだ。
自由でない考え方というのはたいてい、考えというよりは、「旗色」を示すことにしかならない。
旗色、とは、たとえばイデオロギーというものだ。

自由な考え、ほどむずかしいものも、またない。
大人になるとわかるが、遊ぶのにも根性がいる。

「遊んでいる子供の姿に真実がある」というような、道教の哲学ほど的を得た考えもないものだと、つくづく思う。
ガキどもが遊んでいる姿を見ると、たしかにいろいろと学ぶべき点がある。
たとえば、2、3分前までこれ以上ないくらい楽しそうに遊んでいたガキどもから、そうかと思ってタカを括り、目を離していると突然泣き声が聞こえてきたりする。いつのまにか大ゲンカが始まっていたのだ。
つまり、仲よしこよしの遊びの中に、破綻が憑在していたのである。

ガキを保育園に連れて行くと、経験を積んだ保育士さんの視線にギクッとすることがある。
色目を使って来る、とかそういうことではぜんぜんありません^^;
そうではなくて、ガキどもを盛り上げていっしょに遊んでいるように見えて、「目が笑っていない」のである。
これはコワい。
思うに彼女たちは、ガキどもの遊びの中に破綻の芽を常に感じ取り、観察しているのだ。
実に賢い。

今回の金融危機においても、金融機関相互の信頼の脆弱さという破綻の萌芽は、別にプロの経済学者でなくても見えていた。
それなのに、そうした目立たない兆候を冷静に捉えて、ほんの少しでも備えをしておく、ということがあまりにもなかった。
その備えとは、金銭を仲立ちにした信頼関係は脆い、というノーマルな感覚を忘れず、相互信頼性の崩壊に対処する準備のことである。
===============
東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)』という組織のサイトに『マルクスの亡霊たち』に関するシンポジウムのレポートが掲載されていて、そこにこんな一文があった。

本発表は、こうしたことが本書のいう「新たなインターナショナル」の曖昧さと関連しており、本書から抵抗運動を組織していくような展望を妨げているのではないかと論じ、そのかぎりではむしろデリダに抗してあえて起源を語る勇気を持たなくてはならないのではないか、と締め括った。

脱構築」という言葉も、もはや人の口に上ることは少なくなった。それでいいのだとも思う。
そして、「新たなインターナショナル」は、すでにインターネットの出現によって、現実のものとなった。
起源の中に起源ならぬものを見、法の中に暴力を見、「新たなインターナショナル」に憑在する古い秩序が排他的な権能を振るう様を見ることは、常に求められているというのが、デリダの教えだと自分は捉えている。
この「憑在」と「応えを求めるもの=résponsabilité」との関係は、自分にとっては今後の宿題ではあるけれども、しかし今にいたって驚くのは、デリダの活動はこのふたつの概念をめぐって、驚くほど終始一貫していた、ということだ。

「個人」にとり憑いた亡霊

一年ぶりの更新となります。一年とひとくちに言っても。。。ため息以外出ない。
私生活上のことを少しだけ書くと、転職はしていないが、職種が変わった。
紙の雑誌編集者から、いわゆる「ウェブプロデューサー」へ。
まったく華麗でない転身だ。
昨年3月、前職からお払い箱にされてからいままでの期間が、ちょうどプログを更新しなかった期間と重なっている。
。。。要するに自分にとっての一年=「書かれなかった愚痴の堆積」。。。
生産的でないことおびただしい。

「思考」のほうも、まるでタイムマシンに乗って現在にやってきたみたいに、一年前と同じ場所からスタートしなければならないようで気が重い。自分の頭にとり憑いているのは、前回、すなわち一年前に自分でここに記した「個人」という言葉についてだ。

個人。
個人ってなんだろう。

「新世界秩序」といい「自由」といい、言葉自体は十分胡散臭い。そして、それはたしかに胡散臭いのだ。

たとえばブランショバタイユを通して語った「友愛」の場合。
それは「自由」や「個人」を媒介や前提としていたのか。否、であろう(いま文献にあたるヒマな時間があるわけでないので断言できないのが歯がゆいが)。
それは「未知」であり、「時間」であり、もっと言えば「死」と「喪」というものを通して生み出され見出されるもののはずだ。
そこでたとえば「死者の自由」と言うことは可能だが、ただしそれはもの悲しい冗談として以外にありえないだろう。

マルクスの亡霊たち』でデリダが作り出したhauntologie=憑在論という冗談(というのは言い過ぎか^^; 立派な概念です、きっと)も、それに似ているのかもしれない。
「死者」が「自由」に憑依し、「自由」をなにか、真面目に考えるのに値するものではなくしてしまうのだ。

たとえば「サイバーワールド」、「ネット世界」、そうしたすでに陳腐化した言葉で呼ばれる世界。
多くの人が言うように、それがデリダのいう「新しいインターナショナル」の、ひとつの形を示しているのはたしかだろう。
彼ばかりでなくネグリの「帝国」や、大前研一の「見えない大陸」(ここ、笑うとこじゃないです)も、同じことを言っているような気もする。
まったく新しい空間がひらけたのだ。
そしてこの、まったく新しい世界、旧世界とは別次元に生まれたこの世界に、どうしようもなく排他的な、隷属的な、「生政治」的な力がとり憑いていることもまた、明らかなのだと思う。

「新世界」では、「個人」が輝かしい活躍をしている。「自由」は、確実に生まれつつある。それは本当のことで、感動的ですらある。マルクスにとっても、デリダにとってすらも、「夢」にしか過ぎなかったなにかが、すでに生まれつつあるのだと思う。

しかし、それらは同時に死につつある。とりついた亡霊によって。
それを忘れてはならないのだ。それが「商品」にとり憑いた亡霊を見出したマルクスの、「権力」にとり憑いた亡霊を見出したフーコーの、「存在」にとり憑いた亡霊を見出したデリダの教えだろう。

「作者の死」と新世界秩序における自由

少し前のことになるが、下記のようなニュースが報じられ、諸方で失笑を買った。

日本音楽著作権協会JASRAC)や実演家著作隣接権センター(CPRA)など著作権者側の87団体は1月15日、「文化」の重要性を訴え、私的録音録画補償金制度の堅持を求める運動「Culture First」の理念とロゴを発表した。「文化が経済至上主義の犠牲になっている」とし、経済性にとらわれない文化の重要性をアピールしながら、補償金の「適正な見直し」で、文化の担い手に対する経済的な見返りを要求。今後は新ロゴを旗印に、iPodなども補償金制度の対象にするよう求めるなど、政策提言などを行っていく。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/15/news117.html

あまりにも有名な事実だが、ロラン・バルトが『作者の死』と題するエッセイを発表したのが1968年(わたしの生年^^;)、実に40年も前のことだ。バルトによれば、「作者の死」は作家たちによって19世紀から予測されてきたのだった。

「作者」の支配は、今もなお非常に強い(新しい批評は、実にしばしばそれを強めることしかしなかった)が、言うまでもなく、ある作家たちは、すでにずっと以前から、その支配をゆるがそうとつとめてきた。フランスでは、おそらく最初にマラルメが、それまで言語活動(ことば)の所有者と見なされてきた者を、言語活動そのものによって置き換えることの必要性を、つぶさに見てとり予測した。(『物語の耕造分析』花輪光訳、みすず書房p81)

そしてさらに、

われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、「作者=神」の<<メッセージ>>ということになろう)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。(前掲書p85)

とダメを押す。

一編のテクストは、いくつもの文化からやって来る多元的なエクリチュールによって構成され、これらのエクリチュールは、互いに対話をおこない、他をパロディー化し、異議をとなえあう。しかし、この多元性が収斂する場がある。その場とは、これまで述べてきたように、作者ではなく、読者である。(中略)読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわれなければならないのだ。(前掲書p88−89)

「読者の誕生」は、バルトのこの「宣言」が発表された時点では一種の仮説のように人々の目には映っただろう。しかし現在のわれわれにとって、いまだ変化の途上であるとはいえ、この「テクストの多元性が収斂する場」としての読者は紛れもない現実のわれわれ自身の姿となりつつある。冷戦期とその終結、そして経済・情報のグローバル化は、旧来的な資本主義社会から離脱した「新世界」と、それを構成する「消費者」を生み出したのだ。あえて言えば、「作者=神」という神話を殺したのは、歴史だということになる。権利者団体が掲げる「Culture First」「はじめに文化ありき」というスローガンが、多くの「読者」、「消費者」にとって滑稽で文字通りの時代錯誤にしか映らないも当然だ。

しかしもちろん「著作権はどうなるのだ」という大問題はそのまま残っている。他の多くの社会的現実とともに、制度としての「作者」はいまだに存在し、著作権法によって「作者」たる権利を認められ、保護されている。ごく単純に、法律は現実に則して変化していくものだと考えれば、文化、あるいは作品(というか、ここではあえて多元的なエクリチュールの織物という意味あいで「テクスト」といういささか使い古された言葉を文化、あるいは作品の現代的な名前としてもよいのかもしれない)の担い手が「作者」から「読者」、「消費者」へと代わったのだから、著作権を「消滅」に向かって弱めていくべきだという議論が起こるのも当然の成り行きだ。しかし「制度としての作者の殺害」も、テクストとしての文化も、いわゆる守旧派にとってはたとえ現実といえども受け入れがたい概念であろうし、ただリバタリアン的な価値感において是とされているに過ぎないとも言える。むしろ「現状に則して著作権をとりまく環境を整備する」という類の議論が主流になりつつあるようにも見える。

リバタリアニズムは本質において、各個人の生存に関わる財産権は強化し、文化の新しい主体である個人の「文化的自由」を最大化するためには、著作権そのものを否定することも厭わない。しかしここで注目すべきなのは、文化、作品、テクストの主体が「作者」から「読者」、「消費者」に代替わりした、という事実と、その事実に則した制度の更新だけではない。バルトの直接の影響を受けて作品の多元性=「間テクスト性」への分析も進んだが、もっと広い意味で、文化=テクストそのものの、言語活動のあり方、さらに言えばそれらの「存在意義」が問い直されているのだ、という点だ。

国民国家においては、個人を国民として構造化するのに、戸籍などと並んでもっとも貢献していたのは「国語」の制定とその教育の体制であった。言語を支配し、文化を管理することによって、国民国家が「政治的に」支えられてきたのだ。個人は、文化的自由と引き換えに国民として組み入れられ、生を維持することができた。

近代が終焉したいま、「なぜ人は文化を持つのか」という問いに「人間とは文化をもつ種だから」とアプリオリに答えることはもはやできない。冷戦終結後の新世界秩序においては「国民」はいないし、必要ともされない。アガンベンネグリ、ハートによる「生政治」や東浩紀による「動物化」などの概念に見るように、「人格を持つ(主体性のある)個人」はもはや世界の存立に必要とはされず、疎外されることによって構造化されるところの、あたかも「商品」であるかのような、「人格」を与えられていない個人=「亡命者」の存在が世界を支えているからだ。

新しい世界秩序のなかで、複雑化し、断片化した個人が自由であるためには(それは主体性を前提とする。そしてそれはとりもなおさず「動物」として構造化されないということだが)、文化、つまり受容や発信、表現、改変などの形で、情報の自由な流通が最大限に確保されていなければならない。

「作者」の死によってあがなわれる「読者の誕生」は、その端緒においてすでに、新世界秩序における自由を可能ならしめる、必要条件だったのだ。

テクノラティプロフィール

『ゴッドスター』  古川 日出男 著

古川 日出男作品の「通読初体験」だったのだが、入口を間違えたらしい。久々に叩き甲斐のある作品に出逢えたという、不健全なトキメキを感じた。

単純に、地の文で「高速で」とか書きながら高速の描写で「突っ走っていく」というのは、いくらなんでも古くさいというか、カッコ悪すぎるような気がするのだが、気のせいだろうか。。。。。とか言いながら、巻末に

この作品に読解はいらない。身をゆだねてほしいと思う。ことばに。起きていることに。

などという著者自身によるただし書き(?)がご丁寧に添えられているのを真に受けて、40分ほどで読了(というか斜め読み)しただけなので、マトモな評価であるはずもないのだが。。。

しかしそもそも、こういうただし書きは巻頭に置くべきだろう。わたしはほんとにたまたま、刊行日を調べるために奥付を開いたおかげで、このただし書きの存在を知ったわけなので。読み終わったあとに「読解はいらない」と言われても、「そういうことは最初に言ってくれー」という以外に反応のしようがない。あまりにもバカバカしい。

そもそも(という言葉を二度使ったわけだが)、この作品のキモである(って断言するのも野暮だが)「速度」が、ぜんぜん速く感じないという致命的な欠陥がある。途切れ途切れの「文章」の速さに合わせて「わたし」が(ほとんど考えることもなく)感じ、語るのだが、それがこの作品における速度そのものとなっているため、単調にならざるをえない、という構造的な問題がある。そもそも(という言葉を三度使ったわけだが)散文には「あとさき」というシーケンシャルな順序以外の時間は存在しないのだ。文章を短く区切り、描写する対象を次々に変えていくだけで「速くなる」と考えるのは、あまりにもナイーブに過ぎる。視点がそもそも(という言葉を四度使ったわけだが)、ほとんどと言っていいほど移動しない(もちろん自動車に乗っているから移動している、という程度の移動はあるわけだが・・・以下略)。

ひょっとするとこの作品がいい加減に見えてしまうのは、インプロビゼーションとして書かれたものだからかもしれない。それこそジャズ(笑)のように。しかしこのような「書きなぐり」をジャズやらなにやらに見立てているのなら、それこそ音楽家に対して失礼というものだ。先端的な音楽は、文学や他の芸術の何歩も先を行っている。妙な文学的感傷やナルシシズムとは、当然のことながら無縁である。なんというか、「自動書記」と称して寝覚めに枕元のノートになにやらわけのわからないことを書きつけていた、頭の悪いシュール・レアリストのやっていたことと基本は同じなのではないか。

ここで行なわれていることを音楽にたとえると、ライブハウスのジャムセッションにサングラス&ハデなアロハシャツ姿で現れた某大学のジャズ研OBがもったいつけてできもしない『ジャイアント・ステップス』(一応説明すると、曲中で旋法がめまぐるしく変わるモードジャズの古典的な名曲・迷曲として知られるジョン・コルトレーンの作品。いうまでもなく1960年という大昔の「前衛」)を演奏しはじめたのと似ている。ひとことで言えば、聴かされる身には拷問である。スケールも覚えずにコルトレーンもないもんだ、と後輩の顰蹙を買うこと請け合いである。転調はコルトレーンの本質(のひとつ)なのだから、それができないのなら、コルトレーン(および本質において「速い」表現)になど手を出さなければいいのだ。

それから、語り手の「わたし」と「カリヲ」とのあいだの「親子ゴッコ」にしても、「メージ」、「伊藤博文」という登場人物が現れても、「親子」の閉じられた関係性にほとんど変化がないということもさることながら、カリヲが「社会常識」で語ることで「母から伝えられたのではない外側の知恵」が二人の間に流入するという、ある意味決定的な瞬間においても、なんの転調も起こらない。「予定調和を排しているのだ」という言い訳もできないことはないだろうが、それではただ鈍感で身勝手なバカ女に見えてしまう語り手の「わたし」がかわいそうだ。

どこに一体、東京湾が描かれているのだろう。ここに描かれるのは、海、運河、夜景、山のように見えるビル、液状化(笑)・・・それだけのことである。「セリーヌが描いたニューヨークを一歩も出ていない」と言う類の評言も、不要なペダンチズムでしかないのかもしれない。こんな東京湾は、それこそ日ノ出桟橋のポスターとなにも変わらない。「夜の複数性。」とかいう文句も見られたが、正直、お台場にできた新しいビルの宣伝文句の類とどこが違うのだろう。

最後の部分の暴力沙汰に関してはなにをかいわんや。それよりなにより、タイトルである『ゴッドスター』はどこにいるのか。わたしには本当にわからない。
20年くらい前に、サイキックTVという風変わりなロックバンドが『ゴッドスター』というヒット曲を出した。スターシステムをつくりあげた消費社会の人間たちの欲望は、「スーパースター」のつぎには「ゴッドスター」、つまり死を求めるのだ、として、「ブライアン・ジョーンズ(変死したローリング・ストーンズの元メンバー)はあなたの罪のために死んだ」というキリスト教国においてはセンセーショナルなスローガンを掲げたコンセプチュアルな作品だった。中心人物であるジェネシス・P・オリッジは、現代社会における人間の欲望の有り様を様々な角度から追求したアーティストであり、彼の提示したコンセプトはいまだに有効性を持っていると思う。
もし仮に、古川という作家がこのアルバムから小説のタイトルを取ったのだとしたら、それこそ噴飯ものだ。考えていることの程度が、あまりにも違いすぎると思う。

もっとも致命的なのは、この作品には、文章の(なんとも鈍重な)リズムに酔いしれる以外、対象に対する「愛」が徹頭徹尾織り込まれていない、という点だ。文学は、言葉を通して愛、情熱、冒険、死を生きるために存在するのであり、それによってのみ「リアリティー」なるものを獲得できるのであって、作家個人の自己陶酔の道具であってはならないのだとわたしは信じる。

繰り返しになるが、わたしはきっと、最初に手に取る作品をまちがえたのだろう。もう少しマトモな作品があって、これは、いわばファンサービスとして酔狂で書かれたものなのではないか。

断言しよう。これはデタラメ、と言って言い過ぎなら、デタラメに限りなく近いハッタリである。あるいは作家自身の皮膚感覚に対するナルシシズムの発露とでも言おうか。そういうことは人目につかない場所で「詩」としてつぶやいていればいいことで、散文として印刷し、書店にならべるのは勘弁願いたい。

もしこんなものを「文学以前の厨房のポエム」と切って捨てることができないなら、日本の批評家たちの「自信喪失」ぶりは相当に深刻だ。そうであれば、なるほどこの国の文学はすでに滅びたと考えたほうがいいのかもしれない。なぜなら、「制度としての文学」を成立させるのは、作家でも文学そのものではなく、経済性を度外視してでも「求められる文学」を存在させようとする批評家の矜持にほかならないからだ。