いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■苦しみ

 ある朝、男は、空間から突出して成長し、男のすべてを圧迫する苦しみに遭遇した。
「くるしい」
 男は、そう口に出して言ってみた。男の唇は乾いていた。
 苦しみは、遠ざかる気配すらなく、自らを生み出した空間の中で、等比級数的な膨張を続けた。
 苦しみを苦しみながら、男が出したとりあえずの結論、いや単純に観察結果は以下のことである。
「苦しみが、苦しみを生んでるようだ」
 男は息ができなかった。腕を振り首を捻じ曲げて、なんとか気道を確保しようとしたがうまくいかない。そもそも体を動かすこともままならなかったのだ。
「これを金縛りというのか……」
 おそらくは、いまや男の中で独自の発展を遂げ始めた苦しみが作用して、男のそうした努力を妨げていた。
 男の妻が、男の唇に、そっと掌を当てていた。三脚に固定されたDVカメラは動作していた。
「息ができない。苦しい」
 男は苦しんでいた。自らの苦しみを、ただひとり苦しみ、耐えた。
 苦しみの内訳はこうだ−−捻じ曲がったもの。口に出すのをはばかられるもの。居住用物件で、部屋の隅に置くことができないもの。動かすこと、陽に透かすことのできないもの。否定すると矛盾を生じるもの。事物を視覚的にとらえ、転送するもの。