いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

拡大する中東の戦禍 〜われわれの「日々」はいつも同じではない

イスラエルによるレバノン侵攻の状況は、激化する一方だ。

2006/08/03-01:03 時事通信
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=060803010309X363&genre=int

http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=060804175449X786&genre=int

イスラエル軍によるレバノンへの攻撃がヒズボラに無関係な国民生活を切迫に追い込む性質のもの、つまり「マジな戦争行為」だということは、7月20日前後の段階ですでに、オーストラリアを筆頭とする在留外国人が大混乱の中で大量に国外脱出した様子からも見て取れる。恐らく彼らには、事態の深刻さが知らされたのだろう。

『70、000人の外国人、レバノンから脱出』
http://blogs.yahoo.co.jp/laomizu2000/13741737.html
(ニュースで読むメルボルン - ビクトリア州 - オーストラリア)

これにより、日本では、ゴラン高原に展開中のゴラン高原に展開する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に参加している陸上自衛隊の問題がさまざまなブログで取り上げられている。

  • UNDOFの解説→『日本の国際平和協力』

http://www.pko.go.jp/PKO_J/golan.html

  • 『Psychology and Scientific Risk Management』

徹底的にやるだけやるしかない人々
http://flourish.cocolog-nifty.com/psy_srm/2006/08/post_e6a0.html

  • 『機械屋見習いのひとり言』

http://blog.livedoor.jp/szmrkj/archives/50841107.html


そしてイスラエルVSレバノンヒズボラの紛争(戦争)の
比較的近くにいるゴラン高原自衛隊はどうする気ですか?

PKOでいるんだから、別に撤退しろ、というんじゃない。
何らかの見解をだしてくれ。
マスゴミがまったく報道しないからどうなってるのかわからない。
非戦闘地域じゃない、という言い訳はできませんよ。

  • 『低気温のエクスタシーbyはなゆー : 陸自ゴランPKO部隊の宿営地から十数キロ離れた地点に着弾』

http://alcyone.seesaa.net/article/21157443.html


中東ゴラン高原で「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」に参加中の陸上自衛隊の宿営地から十数キロ離れた地点に、ヒズボラ側から発射されたロケット弾が着弾していた。

☆宿営地十数キロに着弾=ヒズボラから15日ロケット弾―陸自ゴラン部隊(時事通信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000082-jij-int

http://www.asyura2.com/0601/war82/msg/784.html

7月中旬、ある意味間一髪のタイミングでイラクに派遣されていた陸上自衛隊の帰還が完了していたのは、小泉首相の強運と言うほかない。今後は、ゴラン高原陸上自衛隊の撤収問題が取り沙汰されることにならなければいけないはずだが、次期総裁選を控えた時期だけに、マスコミの報道は慎重だ。

そもそも日本のマスコミは他の中東での出来事と同様に、この「戦争」に対しても戸惑い以外の表情を見せていない。もちろんそこに、意図された沈黙も含まれるのだろうが、国民の感心が薄い、というのが第一の理由だろう。欧米とは違い、イスラエル建国やユダヤ人社会と直接的な関係が薄いため仕方のないことなのかもしれない、とは思う。しかし関係が薄い、という言い方は恐らくは間違いで、「米国フィルター」越しの外交しかしてこなかったからこその結果なのだ。

『世界はレバノンを見殺しにするのか』(天木直人 ニッポン外交の迷走)
http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=27575

外交・軍事面で、「米国の子分」を務めて、半世紀以上が過ぎている。特にここ数年米国が仕掛けている「テロとの戦い」は、さすがに日本の保守勢力の中にも本音では「ついていけないな」と感じている人々が少なくないのではないかとも思えるが、すでに始まってしまったゲームから降りるのは容易ではないだろう。

国連による和平交渉は米国が停戦を急がない方針を明らかにしたため頓挫してしまった。このままだと、イスラエルと米国が結託した「テロとの戦い」が第二ステージ=イランとシリアを巻き込んだ「第五次中東戦争」に突入するのを、国際社会はどうすることもできずにただ手をこまねくだけということになりかねない。

田中宇のニュース解説』http://tanakanews.com/g0801israel.htm では、チェイニーを中心とする米国の中枢が、イスラエル右派を焚きつけて事実上のクーデターを起こすことで戦禍を拡大させ、ついでイスラエルの孤立化を導き、中東の多極化を進めようとしているとの究極の陰謀説が唱えられている(イスラエル内部での右派によるクーデター説については、パレスチナ占領地からの撤退路線と戦争拡大路線とは一枚岩であるとする異論がある……http://0000000000.net/p-navi/info/column/200607240651.htm http://palestine-heiwa.org/note2/200607240414.htm……)が、もちろんその可能性の有る無しは、わたしには知る由もない。

イスラエルの攻撃によるレバノンの一般市民の被害はもとより、ヒズボラのミサイル攻撃によってイスラエルの民間人のほか、領内に住むパレスチナ人からも死傷者が出ている。
http://palestine-heiwa.org/note2/200608020409.htm
イラクの例を見るまでもなく、イスラム社会にとっての「戦後」の問題の複雑化も予想されるだけに、一刻も早い停戦が望まれる。

ふと思うのは、「このようなヒドい状況に対して、わたしにはなにができるのだろうか?」あるいは「わたしはそもそも、この現実を変えるための努力をする気があるのだろうか?」というアホのような疑問なのだ。こんなブログを書きつらねることでなにかの足しになると考えるのはとんだ思い上がりだろう。プロボクシングの八百長問題以外にも人間はなにかを考えなければいけないはずだ、というのも馬鹿げた話だ。

ならばなんだろう?

米国大使館前でデモをすることだろうか。「行動」をすることなのか。湾岸戦争から繰り返してきた自問自答のさらなる繰り返しだけが待っているのか。もちろん、ケチな「良心」と折り合いをつける云々という話ではないはずだ。昨日までそうだったように、今日からもまた、サイレント・マジョリティーの陰に紛れながら糊口をしのぐだけの毎日が過ぎていくだけなのだろうか。様々な経路で流入してくる「情報」は、われわれの適度に幸福であったり不幸であったりそのどちらでもなかったりもする日常的な「日々」をも試みに遭わせているのではないのか。

いまはただ、なんらかの予感について書くことができるだけだ。

転機というものはいつか訪れる。そしてそれは今日かもしれない、ということだ。