いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

数年後に今日の日を

ひさびさの更新です。その間に見に来てくださった方、申し訳ございませんでした。


総選挙で自民党圧勝の夜・・・数年後にこの日のことを本当に苦々しいものとして思い起こすことにならなければいいな、と思う。

自民党の片隅にいた、かつての「お変人の純ちゃん」には比較的にいい印象を持っていたのだった。そして最初の総裁選の勝利は、素直に感心したものだ。かつては、小泉や石原が首相の候補になるなど、ぜったいありえないという雰囲気だったと記憶している。まさに隔世の感だった。

しかしいまや、小泉はかつての彼ではない。he is not what he was.
いや、単に彼のことをよく知らなかったというだけのことなのだろう。政治家のことなど、イメージでしかとらえていないということか。考えてみれば能天気な話だ。

確かに、小泉は日本の権力構造を根本的に変えてしまいつつあると思う。かつて存在したのは、実権を握るのはあくまで官僚であり、政治家の役割は官僚の表看板を請け負いつつ地元に利益還元する、という構造だ。そこに小泉は大鉈を振るいつつある(周知の通り、まだ一部、つまり族議員を追い出すという部分しか着手されていない)。

今後、小泉はタカ派としての相貌を強く見せていくことだろう。テレビのインタビューで郵政民営化の次になにを重視しますか、という質問に「治安維持の強化には興味があります」を挙げていてギョッとした。これは基本的に石原の発想と同じだ。治安がいいに越したことはないのは明白だ。しかしそれを最重要の課題に挙げるかどうかは別問題だ。

当面、メディアは郵政&構造改革一辺倒の報道を続けるのだろうが、注意が必要だ。小泉が手本にしているブッシュと同じように「有事体制を利用」して、言論統制と、それに伴う出版社の自主規制の強化という傾向はますます強まるだろう。泣かず飛ばずの自分の場合、たとえば小泉外交や石原都政を皮肉るために、テロ礼賛を装った作品を出すことなどは、できなくなるだろう・・・というか、すでに難しいかもしれない。大して売れそうもない作品を販売するために、政治的圧力がかかるリスクを犯す販社などあるわけもない。

息苦しい世の中に向かってるなー。自分としては、とにかくやるしかない、のだが。

それにしても民主はひどい失敗をしてしまった。「郵政民営化法案には反対だが改革には賛成だ」というのはいくらなんでも苦しい。あそこで反対していれば小泉を追い込めるとでも思ったのだろうが・・・選挙中の主張もはっきりしなかったところを見ると、党執行部は、党内の意見をまとめることがそもそもできていない、ということなのかもしれない。