いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

『グリンゴ』手塚治虫

※今回は『グリンゴ』(手塚治虫)のネタバレを含みますので、ご注意ください。

最近、ずいぶん前から構想を持っていて、実際に小説として50枚ほど書いて放り出していた作品に、もう一度取り掛かかろうと思い、資料を読み始めている。舞台としては東京、北関東、そしてサンパウロを中心としたブラジルを考えている。ブラジルを選んだのは、地球儀で言うとちょうど日本の反対側に位置しているので、日本人にとって単なる外国という以上の意味合いをもっている、というのが主な理由だが、一度だけ訪れたこの国が好きだ、という個人的な理由もある。

"小説的ブラジル移民史"ともいえる北杜夫の『輝ける碧き空の下で』〈新潮文庫ISBN:4101131341 はまだ読書中だが、地道な取材の上に丁寧な描写を重ねた大変な力作だ。北杜夫は、知名度に比して文学史的な評価は「?」という作家だが、『輝ける碧き空…』を読むと、その文学に対する情熱の深さに感動を覚える。また、ブラジル移民史に関する情報源としても、参考にさせてもらっている。

そして『輝ける碧き空…』と同程度、いやそれ以上の衝撃を受けたのは、架空の南米の国家を舞台とした手塚治虫の未完の遺作(のひとつ)『グリンゴISBN:4061759043 だった。わたしは恥ずかしいことに、漫画に関する知識が乏しく、この作品が漫画史的、あるいは手塚ファンの間でどのような評価を受けているのかをまったく知らない。しかし、作品を貫く力強い一貫性には、ただただ圧倒された。

あらすじは・・・『Tezuka Osamu@World』http://ja.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m109/m109_01.html
をそのまま引用させてもらいます(ごめんなさい)。


ひとりの商社マンの姿を通して、日本人とは何かを問う社会派サスペンスです。
南米リド共和国の商業都市カニヴァリアに、日本の大手商社・江戸商事の支社があり、そこへ新しい支社長・日本 人(ひもとひとし)が赴任してくることになりました。
日本(ひもと)は本社の藪下専務から目をかけられていたための、異例の出世でした。
ところが、妻と娘を連れて赴任して間もなく、藪下専務が女性問題で突然辞任してしまったため、日本(ひもと)も、カニヴァリアから、政情不安なサンタルナ共和国のエセカルタに左遷させられてしまいました。
エセカルタでは、政府軍とゲリラが毎日のように市街戦を展開していました。日本(ひもと)は大使館の資料から、ゲリラの本拠地フエゴ州のモンテトンボ山にエレクトロニクスの部品に欠かせない希少金属=レアメタルの鉱床が眠っていることを発見します。
そして日本(ひもと)は、ゲリラの首領ホセ・ガルチアと交渉してレアメタルを日本に輸出することに成功します。
ところが成功も束の間、政府軍がゲリラを制圧したため、日本はエセカルタを脱出する羽目になってしまいました。
(未完)

まず、人物の造型がすばらしい。主人公の日本人(ひもと・ひとし)は、現代の目からするとすでに減りつつある「モーレツ会社員」的な、小柄な体に精力を満ち溢れさせたビジネスマンだが、元・草相撲の力士という特異な経歴と度外れた情熱の持ち主。手塚は「日本人を描く」という明確なコンセプトを持ちながら、「典型的な日本人」をリアルに描いて主人公に据えるようなことはしなかった。これが重要な点だ。それはきっと、手塚が漫画家としての自負を持って、物語を作り上げようとする強い意志の表れなのだ。フィクションとは、あらかじめわかっていることを表現力によって伝えるのではなく、フィクション自身の力によって、なにかを知ろうとすることなのだ。

他の登場人物たちもそれぞれ魅力的だ。元過激派闘士の鬼外、カナダ人妻のエレン(一部の書誌情報で「フランス人」となっていたが、「ケベック州出身」と出てくるからこれは誤りだろう)、高級コールガールの戸隠美穂、リド反政府軍の指導者ホセ・ガルチアなど、類型的にならず、それでも職能に応じたカラーをはっきりともって描かれている。

そしてなにより、徹底して叙情を排し、日本人にとっての外国を、経済と政治情勢の両面からあくまで現実的な設定によってディストピアとして描くことに成功している。そしてその「地獄」の最奥部にとりもなおさぬ「もうひとつの日本」の姿が現出するといのが、とりあえずの手塚の目論見だったのだろう。これも着眼点として優れていると思う。

もちろん、細部にはやや強引な部分もある。特に日本(ひもと)らがエセカルタを逃れてたどり着く、コロンビア国境近くに開けた「勝ち組」の残党による皇国日本の亡霊のような共同体「東京村」の描写については、やや結論を急ぎすぎたのでは?という気もする。連載の期間とか、いろいろな兼ね合いがあるのだろうが。というか、この物語は大変残念なことに、「東京村」の場面の途中で中断しているのだ。エネルギッシュに困難に対して文字通り体当たりしていく主人公、日本(ひもと)が、いったいどんな生き方を選び取るのか、それは手塚治虫が亡くなったいま、知る由もない。しかし、それを考えてみることは興味深いテーマだと思う。

自分の用意している作品も、ささやかな「続・グリンゴ」となるだろう。