いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

密室から抜け出ること

密室から抜け出るのは容易ではない。というのも、おそらくは自分から入って内側から鍵をかけてしまったはずの密室に、自分では閉じ込められ、外側から鍵をかけられた、と信じ込んでいるらしいからだ。

この能動から受動へ、内側の鍵から外側の鍵へのすり替えは、どのようにして起こるのだろう。

記憶の恣意性だとか、いろいろと言いようはある。われわれはたいてい、目先の安易さを選択するだろうから、長い目で見て明らかに不利益をこうむることになる誤った選択をしておきながら、その誤りを受け入れられずに、受動的な記憶へとすり替えてしまうのかもしれない。

鍵がもし、「彼方」からもたらされるものだとしたら、部屋の鍵は内側からはかけられないのだということに、目を向けなければならない。同様に、鍵は「彼方」からもたらされたりはしないということをわれわれが悟ることができたら、あとは重みをもって自分の手の中に沈んでいる鍵を再び見出して、静かに扉を開けばいいだけのことだ。

「世界」がもし存在するとすれば、それは必ず扉を開いた向こう側に伸びているはずの水平線のようなものとして、われわれを包み込んでいるのだから。