いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■『伝える言葉 -テロへの反撃を超えて-』大江健三郎

イラクで誘拐された邦人3+2名は無事釈放されたとのこと。ひとまずヨカッタヨカッタ。しかし今回の件で、重い宿題が課されたようにも思う。

以下、4月13日の朝日新聞に掲載された大江健三郎氏のエッセイを全文転載する(いわゆる著作権法上は問題はあるけれど、朝日の縮刷版と大江氏の全集の中に葬り去られるより、こうしてみんなが読み考えるために開かれているほうがマシだと筆者も了解されるだろう・・・んなんことない?)。

この文章は、とてもいい。わたしは、大江氏のよい読者ではない(『宙返り』も読んでないし^^;)。だから彼の作品、スタンス、そういうものから、この文章の意味するものを図ることは、遺憾ながらできない。しかし、ここには、イラクへの自衛隊派遣からマドリッドでのテロ、そしてイラクでの邦人誘拐事件に至る「精神的なドキュメント」として十分、傾聴するに足るものがある、と思う。大江氏自身がたまたまこの時期に、サイードの友人であるブラヒミ氏と会い、テロ直後のマドリッドにいた、という「必然のような偶然」にも重みがある。

もちろん、ここで語られているよりも、イラクの「政治的現実」は少々複雑ではあるとは思う。邦人人質解放で重要な役割を担った"イスラムスンニ派の宗教指導者らでつくる「イスラム宗教者委員会」"が、米国と、イラク国内で多数派を占めるシーア派を牽制する意味で今回のパフォーマンスを行ったということは十分に考えられる。にしても、だ。問題なのは「自分がこれをどう考えるか」だとわたしには思える。

「精神的なドキュメント」とは、ある出来事、ある流れに対して、たった一人になった個人がそれについてどう考え、どう行動し、なにを祈ったり祈らなかったりするのか、という問いかけだ。文学というものは、本来そうしたものであるべきなのだが。

・・・などなど、能書きを言うのはこの辺でやめておくことにしよう。たまたまここへ立ち寄ってくれたみなさん、どうか大江氏の論考を静かにお読みになり、朝日新聞に告げ口したりはくれぐれもしないでください(笑)。



『伝える言葉 -テロへの反撃を超えて-』大江健三郎

 最初の言葉を、「寛容」とするつもりでした。十七歳の時、岩波新書で読んだ渡辺一夫著『フランスルネサンス断章』が一生を決めたと、今になってつくづく思うからです。
 そこで語られていたのは、旧教と新教のキリスト教徒がフランスを二分して続けた長い戦争と、なんとか寛容の精神を実現しようとした人々のことでした。
 人間は、思い込みと自分らの作り出したものの機械となって突進する。その勢いを、人間は誤りやすいと自覚して、ゆるめようと努めるのが寛容。渡辺さんはいつの世にもある不寛容に嘆息しながら、歴史を見れば寛容こそ有効だ、と言い続けました。
 この数週、世界は不寛容と不寛容が角突き合わせる闘技場でしたが、その暗闇に立ち向かう働きも見えたと思います。

 二月の終わり私は東京で、国連事務総長特別顧問ラクダール・ブラヒミ氏と一時間話しました。共通の友、エドワード・W・サイードの死を悼んでのことです。
 サイードは、アメリカが世界を制覇していく現況を、文化にそくして分析しました。あわせて、何もかもを奪い取られたパレスチナ人の、イスラエル国家の暴力を超える共生を手さぐりする人でもありました。
 ブラヒミ氏の知的な広さ、柔軟さは、ユーモアとともに、懐かしいほどサイードに似ていました。アフガニスタンでいかに大国の無知(イグノランス)と傲慢(アローガンス)に苦しんだかをブラヒミ氏はいい、パレスチナ人の抵抗運動ハマスが、テロの代名詞のように使われているけれど、あの組織には子供を救う運動を重ねている側面もあると話したのです。かれのイラク暫定政府づくりのための現地入り直前、ハマスの精神的指導者として寛容の人でもあったヤシン氏は爆殺されたのですが……
 三月半ば、私はテロ直後のマドリッドに行きました。眠れぬまま見続ける深夜のテレビの、世界各地からの映像は「新しい大戦下」というほかない現状です。それでも、スペインの都市を埋める巨大なデモは、抑制された怒りと悲しみの、静かなといってもいい市民の行列でした。
 それは9・11の同時多発テロの後、ブッシュ政権を勇み立たせた、報復の感情の激発とは無縁のものです。
 スペイン語訳された『宙返り』とテロを結んで、質問してくれた多くの記者たちから、かれらも参加した行進の話を聞きました。とくに「ケータイ」で連絡しあう若者らの姿が、間近に迫っている選挙の、イラク撤兵を公約した野党の勝利を予告していた、と。

 しかし、その間もイラクでの抵抗は増大するばかりで、アメリカ軍の戦闘規模は強化され続けました。そこでの日本の自衛隊の活動が、ひとり安穏に進行すると予測する者は、少なかったはずです。サマワ自衛隊宿舎近くに砲弾が放たれたという報道を、不吉な予告と受け止めた者こそ多かったでしょう。それに続いて、日本人三名が武装集団に誘拐されました。
 かれらの要求に対して、福田官房長官は「そもそも我が国の自衛隊イラクの人々のために人道支援をしているので、撤退する理由はない」と拒否しました。
 今イラクにいる――そして米軍同様、泥沼に踏み込もうとしている――自衛隊の実情を見れば、政府の強い語調は「テロに屈しない」という美しい言葉同様、ブッシュ政権の無知と傲慢の暴走につきしたがうしかない立場の、思考停止の掛け声と聞こえます。
 そういう時、テロという不寛容の、不寛容による反撃とは別の、第三の道を探したいと願う市民が現れるのは、国際化された民主主義社会で当然のことです。
 三人の日本人のうち、女性はバグダッド陥落以来、ストリートチルドレンらのために働いてきた人です。少年は劣化ウラン弾としてイラク全土に飛び散った放射能を持つ微粒子のもたらす禍根を、絵本で警告しようと思い立ちました。
 解放のきざしが見えてからも――そこには人質たちのメッセージが届いたこと、宗教指導者が寛容への通気孔でありうることが示されました――実現が難航するなかで、露骨にむき出されるのは、国家も武装集団も最初の意思表示を変える気持ちのないことです。一応の解決がなされるにしても、もっと悲惨な揺り戻しがないという保障はありません。自衛隊を巻き込んだブッシュ路線の根本的な転換はありえぬと、小泉首相はチェイニー副大統領とともに内外に誇示しました。
 渡辺一夫の鎮められない魂が現れることがあるなら、あなたの暗い予見よりさらに暗く、二十一世紀は不寛容の全面対決に向かいつつあり、この日本も戦列に加わっていると訴えたい思いです。しかし、その国に、先生は知らないメールを盛んに使って、寛容を世界に発信する、新しい市民たちが出て来ているとも付け加えねばなりません。
(2004年4月13日の朝日新聞より)