いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

『国見高・小嶺総監督インタビュー 教え子への思い熱く』http://www.sankei.co.jp/databox/Wcup/html/0402/05soc001.htmがよかった。

−−理想の高校サッカー指導者像は

 「グラウンド内外を問わず人間教育の場であることを認識し、自分の知識を基準にせず、選手のレベルに応じた指導ができること


なかなか立派な言葉だと思う。自信の表れかもしれないが、常に「勝ち」が義務付けられているように思われている国見高校の指導者が、実際には勝ち負けではなくて成長の過程を重視しているということ。話題の23歳以下日本代表に選ばれた平山選手にも、t適性を考えて進学を勧めたようだ。

フットサルをプレイしているとつくづく、人間が試されているような気がして、恐いな、と思う。苦しいときに仲間を助けられるか、身の丈に合わないプレイを選択していないか、危険を冒して挑戦することから逃げていないか……これらは、上手い下手を超えて、フットサルやサッカーをプレイする人すべてに降りかかってくる問いであるように思う。これを、「遊びなんだからそんなにかたっくるしく考えなくても…」と思える人は、ある意味幸せだ。

しかし、と思う。遊びというのは本来、いい加減にやるものではなく、精度、質を高めようとするものではないか。だとするなら、やはり局面局面で人間性が試されるような遊び方こそ、遊びのほんとうのおもしろさなのだ。

……などと書きながら、笑えない自分がいる。