いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■痛みと怒り  その1

ここ1、2カ月、育児と仕事にまつわる「無理」がたたったらしく、頭痛に悩まされるようになった。右後頭部の1点から、ズーンと広がっていくような痛みである。さらにある日の午後、屋外の人工芝コートでフットサル(ミニサッカー)をしていて、交錯プレーで頭を地面にひどく打った。そのせいかどうかはわからなかったが、それから数日経つと、夜、一睡もできないほどに頭痛がひどくなった。これはたまらない、クモ膜下出血かなにかではないだろうかと不安になり、最寄りの大学病院の門を叩くことになった。この病院は、医療事故などで何度か問題になったが、父も、存命中だったころの実母も世話になった、まぁ思い出深い場所ではある。


思い出深い場所、とはいったものの、少なくとも実母が亡くなった二十三年前とは外観がまるで異なっている。外来患者向けの「表の病棟」だけが、リゾートホテルのようにきれいに新築されているのだ。入院患者向けの「裏の病棟」は古いままなので、そのギャップと言うか二重性は、近隣の住人たちにあまりいい印象を与えないだろうと思った。もちろん、一度にすべてを改装することなど、現実には不可能なのだろうが。


むしろこの病院にいい印象をもっていないのは、近隣の住人たちではなくわたし自身だと言ったほうがいいかもしれない。病院が入口ばかり飾りたてるというのは、悪い冗談に思えた。わたしは「裏の病棟」で、実母の死に顔を見た。あるいはまた、父が発作で倒れ、ICUに入れられたとき、親族用の詰め所で手術を待つ間に、ケンカが原因で十代の息子を亡くして泣いている家族を見た。もちろん、病院で人が死ぬのはある意味当たり前のことである。しかし、当たり前に人が死ぬ場所が、2つの顔をもっていてはいけないのではないか、とわたしは思う。


家人とわたしは、「表の病棟」に入っていった。わたしたちは、実はつい一カ月前にもここを訪れていた。生後4カ月だった息子が、家人が目を離した隙にベビーカーからずり落ちて、顔を石の床に打ちつけてしまったのだ。わたしは会社から飛んで帰って、この「表の病棟」に駆けつけた。息子は、CTスキャンと呼ばれる検査台に寝かされてうとうと眠り始めるような具合で、さいわい、異常はなかった。


「どうなされました?」と訊く受け付けの若い女性に、「頭痛がひどいんですが」とわたしは答えた。相手は、「はぁ……」と要領を得ないような表情をしているので、わかりやすいように「1週間前に頭を打った」と告げたのだが、これは無用な注釈だったのかもしれない。彼女は安心したように、「じゃあ脳神経外科ですね」といって、彼女が毎日行なっているルーチンワーク、すなわち受け付け票の記入を始めながら、「あちらの椅子でお待ちください」と告げた。


医師の診察を受ける前にレントゲンとCTスキャンを撮った。医師が容体を少しも診ずに検査を始めることに違和感を覚えながらも、なるほどこれなら待ち時間が短縮されるというわけか、最近は病院も合理化されているのだな、と一応は納得した。


検査のあと三十分ほどして、ようやく診察とあいなった。大判のレントゲン写真とCTフィルム(?)に素早く視線を走らせたあとの医師の表情は明るかった。瞳孔を診るなど、とおりいっぺんの診察をしながら、「心配ありませんよ」と彼は言った。レントゲンにもCTフィルムにも、なにも不穏なものは写っていないというのである。「痛み止めの薬を出しておきますので」と言われ、診察室を出た。ひとまず、わたしは安心した。いっしょに来てくれていた家人の顔も、ようやく明るくなった。


診察料の清算にはまた三十分以上かかるというので、外来病棟の最上階にある喫茶店かレストランで時間をつぶそうということになった。家人はアイスコーヒー、わたしはカプチーノ、小腹がすいたのでふたりでシナモントーストを頼んだ。メイプルシロップのかかったシナモントーストは、思いの外うまかった。明るい窓からは、三鷹の家々や緑が一望の下に見渡せる。高層ビルの最上階近くによくある、見晴らしのよいラウンジのようだった。わたしが同じ境遇になっていたかもしれない入院患者たちには、望むべくもないはずの穏やかな時間が流れた。


夕方に会社に戻り、仕事を始めてしばらくすると、それまで遠のいていた頭痛の波がふたたびやってきたが、わたしは比較的平静でいられた。医者に処方された痛み止めの薬を飲めばすぐに治まるだろうと思った。しかし、そう簡単にはいかなかった。頭痛の波の周期は、だんだん早まっているようにすら思えた。痛む場所も広がっているようだった。右後頭部、そして右側の上下の歯や顎の下までも痛むようになった。右側の下の2本の奥歯は、かなりひどい虫歯になっていて治療が終わったばかりだった。特に、虫歯の治療時に神経を抜かずに残した歯は、ものを噛んだり、熱かったり冷たかったりする飲み物を飲むたびに痛みだし、そこから右側の頭部にやりきれないような痛みが広がっていくので、食事をするのがためらわれるようになった。


夜半に帰宅して、ベッドに横たわるとすぐ、これまで体験したことがないほどの痛みが右頭部から歯、顎に広がりだした。わたしは家人と眠っている息子を残して、ベッドを抜け出した。昼間にインターネットで検索を行ない、頭痛が肩凝りや頭部の筋肉疲労から起こる場合があるという情報を得ていたので、夜中にひとり、首の体操や肩の筋肉のマッサージを始めた。痛みを吹き飛ばすような勢いで頭を回し、肩を叩きしているうちに、少し痛みが遠のいた気がしてきたので、横になってみる。するとしばらくしてまた痛みがやってくる。どうやら身体が弛緩すると、頭痛を感じる神経が鋭敏になるような感覚だった。わたしはあせりを感じた。結局その夜は、一睡もできなかった。


次の日、懲りもせずわたしは会社へと出かけていった。わたしは、自分がそれほど真面目な会社員だとは思ってはいないが、たとえ体調が悪くても、目先の仕事を他人に任す気になれず、休むのをためらうほうだ。医者からもらった鎮痛剤などを飲んではいたが、頭痛は相変わらずだった。痛みの発作が来ると、とても仕事どころではなかった。わたしはそのたびにオフィスを抜け出して階段を下り、テナントの入っていない階の廊下で、例の首の体操やら肩のマッサージやらをはじめた。それでも痛みが遠のかないと、血の循環に関係があるのならと思って、あたりを見回してから壁に向かって逆立ちしてみたりした。なんとも馬鹿な話のようだが、背に腹は代えられない。


そんな状態でもなんとかその日の業務を仕上げて、夜中の一時過ぎに帰宅した。歯が痛くてものを食べる気も起こらず、そのまま床に入ったのだが、案の定痛みが右頭部にじんわりと広がりだした。不安げに見上げる妻を尻目に床を起き出し、階下へと下りて、例によって首をブルンブルン振り回す運動をはじめながら、いったい自分はどうなるんだろうかと思った。


横になったり、起き上がって首を回したり首の後ろを伸ばしたりというようなことを繰り返しながら、結局朝になってしまった。起き出してきた妻は、わたしが一睡もしていないことをすぐに悟って顔を曇らせ、言った。


「昨日インターネットで調べたら、頭痛に詳しいお医者さんがすぐ近くにあるって書いてあったの。心療内科なんだけど。行ってみない?」


なるほど、「頭痛にくわしい医者」に行くという発想がわたしにはなかった。心療内科、というのに多少の抵抗、いや、ある種の皮肉を感じた。新しい訪問先に出向くのを億劫がる質のわたしだったが、その日はそそくさと外出の支度をはじめた。 (続)