いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

■モーリス・ブランショの死−−永遠の生、永遠の遊び

フランスの小説家・批評家、モーリス・ブランショが死んだ。1907年9月22日-2003年2月20日。享年95歳。まったくの偶然だが、2月20日は、わたしの実母(1930-1980)の命日と同じだった。偶然によって、わたしにとって特別な日付となってしまった。<<私は自分がはじめ彼を死んだ人として、次に死につつある人として知ったのだと得心した>>(『最後の人』p13豊崎光一訳)


ブランショのモチーフは、こんな一節に現われている。乱暴な言い方をすれば、「生とは、死に行くことである」という、ひどく明白な思想、いや「事実」のさまざまな変奏が、彼の「営みの全体」だったのだ。死の瞬間を待っている状態、それが生である、と。


「彼は死ぬ il meurt」という待機状態から、必ず不意打ちという形で訪れる「彼は死んだ il est mort」という不動性への移行は、やはり痛ましい。死について書きつづけたと語られることの多いブランショにとっても、事態はなんら変わらない。自分にとって愛する人の死は、なにものも埋め合わせてくれず、交換は不可能なのだ。


ブランショは、<<すべてが消えたとき、『すべてが消えた』が現われる>>という言葉で、谺(こだま)する沈黙として永遠を定式化した。このことは、死によって限界付けられた生が、それでも死に向かって無限に繁殖し、生成していく運動だ。<<しかしこの永遠の動き、この無限の気まぐれ、わたしを同じ場所に放置しておきながらたえずわたしに場所を変えさせるこの追跡は、真の動きというものを信じるようにわたしを導くのである。その動きはたとえ宿命の力と不動性とに包みこまれているとしても生きており、そして生を求めている>>(『望みのときに』谷口博史訳p136未来社刊)


「わたし」は言葉だ。しかしこの一人称代名詞に過ぎない主体は、死の瞬間まで打ち続ける心臓の鼓動に突き動かされ、「わたしは」と言い、「彼は」と言うたびに震え、揺れている。主体のこの"ブレ"を、ブランショは遊びのようなものと感じていたのではないか、というのが、ブランショを失ったいま、わたしが感じることがらのいっさいだ。なにも生み出さず、続けられるにしてもそれは死ぬまでの間にかぎられているが、それでも人は、あたかも永遠の生のような遊びを続けるのだ。


●参考URL
月曜社のブランショ追悼ページ……郷原佳以安原伸一朗、西山達也、廣瀬純、西山雄二 各氏によるブランショ追悼文を掲載

『Un temoin de toujours(永遠の証人)』ジャック・デリダ(リベラシオンのサイト)ジャック・デリダリベラシオンのサイト)
上記が消えていたらremue.netのアーカイブを参照↓
http://www.remue.net/cont/blanchot_derrida.html

モーリス・ブランショの死(ヌーベル・オプセルバトゥール)

『モーリス・ブランショ、文学の孤独』(ル・モンド)ル・モンド