いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

飯田橋・トゥルニエ・フットサル の巻


昼からフットサル『スーパーリーグ』の最終節を観に有明コロシアムへ出かけた。飯田橋で地下鉄に乗り換えるときに、ちょっと寄り道してホテル・エドモンドの一階のパン屋へ“パン・オ・リュバン”を買いに行く。以前、飯田橋在住のフランス人の知人に教えてもらって食べたら確かにうまかったというシロモノだ。件のパン屋に着くと少々様子が変っている。売り子のお姉さんに聞くと「もうそのパンは扱っていません」との答え。世知辛い世の中だな。



無性にカレーが食いたくなってぶらついていたら、反対側の外堀通りまで来てしまった。昨日の豪雨が嘘のような晴天である。空が青い。雨が塵を落とし、日頃汚れ切った都会の空気も妙にすがすがしい。遠くにビル、自動車、街路樹……一瞬ここがどこなのかがわからないような感覚に襲われた。マドリッドのようでサンパウロのようでニースのようでもあった。晴れた日に外国の空港に降り立って、自動車で都市部に入ってきたときの感覚。不安が同時に快感でもありうるかのような、甘美な錯覚とでも言おうか。……神楽坂に着く前に、その感覚は退いていった。



そのまま足を伸ばして日仏学院まで。購買部のような書店、欧明社に入るといきなりフランス語のラジオ放送が流れていて、プチ・フランスといった風情である。magazine littéraireの特集で、パウル・ツェランとマルチン・ハイデガーの関係が取り上げられていた。ツェランは、ご多分にもれずハイデガーに傾倒していた。ユダヤツェランが、ナチに入党したハイデガーに、「ホロコーストを知っていましたか?」と問いただしたと言われる“トートナウベルクの会談”が、この記事の中心となっているようだった。会談の3年後、ツェランセーヌ川に身投げすることになる。



最近は洋書もずいぶん安いんだな、と関心しながら結局、ミシェル・トゥルニエの『Le mirroir des idées』を手にとる。日本語で言うと“考えの鏡”といったところだろうが、“idée”という言葉にあたる日本語って、なんだろう。プラトン風のイデアというような発想、現世とは離れた別の場所にツルッとした理想のものがあるというような発想のない我々の文化圏では、なかなか難しいものがある。現代ニッポンでは、ごく乱暴に「概念」などと訳してしまいがちだが、概念とは切り分けの問題であって、イデアの国と現世との距離感を伝えてくれるものではない。



『Le mirroir……』は、反対のものについて、引用を交えながらああだこうだ言う本、のようだ(まだ最初のほうしか読んでいない)。「男と女」「笑と涙」「猫と犬」などなど。具体的なものでテツガクしてみるという、ちょっと雑誌のコラムっぽい企画だが、「ガストン・バシュラールの思い出に捧げる」と書かれていたのにひっかかって買ってしまった。770円也。「愛と友情」のところで、ラ・ブリュイェールの「時は友情を強くし、愛情を弱くする」などという言葉が引いてあって、ちょっと、うーん、という感じだが、まぁいいか。面白いものがあったらここで訳してみようと思う。



フットサル・スーパーリーグ最終節。暖房のついていない有明コロシアムは寒い。そしてでかい。しかし結局1000人近い観客(関係者含む、だけど)が集まった。たいしたもんだ。全国大会出場を決めているPSTCロンドリーナ(神奈川)とカスカベウ(東京)のカードは、面白かった。やはりフットサルは面白いと改めて教えてくれた。ドゥダをはじめとするカスカベウのメンバーたちのうまさは、すごい。他のチームとはやはり全然違う。ロンドリーナは気持ちで戦い、終盤に逆転して2点差をつける。が・・・



今日のヒーローは、金山友紀(カスカベウ)だった。彼のプレーは見るものに、とにかく鮮烈な印象を焼き付けてしまう。速いだけではなく(本当に本当に速いんだけど)、感動させるのだ。と言うとまるで誰かみたいだけど。小柄な彼は、自分のスピードとあいまって、すぐに吹き飛ばされてしまう。が、すぐに立ち上がって走り、相手に追いついてしまう。ブラジル遠征中、ゲーム中に壁に激突して気を失ったこともあった。ブラジルのプロ選手たちも、ファールをしなければ彼を止めることができなかったのだ。瞬間瞬間で燃え尽きているような印象だ。たしかに危なっかしい。そしてカッコイイ。