いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

これもいわゆるひとつのIT化

■2002/1/20(日)曇り、小雨■

自ら予想したとおり、この項はとうてい「日記」にはなりえていない。「週末の覚書」とでもしといたほうがよさそうだ。




先週は、LAN用のサーバーを立ち上げるのに熱中していた。暇はないはずなんだけど、やってることは暇つぶしに限りなく近い。一応仕事のリサーチも兼ねて、という感じだ。最初はMSのパーソナルwebサーバーというのを試してみたが、結局『AN httpd』を使うことに。cgiが動かせるので家庭内で掲示板を立てたりできる。そんなアットホームなことやってどーすんだと言われればそれまでだが。ファイルのやり取りも、というのでftpサーバー(『雷電』っていうやつ)も立ち上げてみたが、これはもう面倒のひとこと。LAN用にはオーバースペックである。Yahooメッセンジャーでファイルを送ればいいじゃん、ということに落ち着く。



くだらないくだらない。パソコンやらネットワーク環境やらを弄くっていると、心底そう思ってしまう。ほんとうにそれは、メモするためにメモ帳を調達するのと変らない。仕事などでメモをよく活用するようになったら、記入用の欄がいろいろあるタイプを、ノウハウにしたがって選ぶようになる、といったことがらのひとつということだ。「総務的」な作業というか。くだらないと考えるわたしがまちがっている、のかな?



これもいわゆるひとつのIT化、ってことなんだろう。合理化、効率化のための手段のはずだが、最近は若年層の労働時間が伸びつつあるという(村上龍の『JMM』より)。賃金減って労働時間増えてものが買えなくなって、ITで生産力がまたまた上がったら、在庫ばっかり増えちゃうよ、という具合に、政治家やら官僚やら銀行マンやら大企業経営者やらは考えないのだろうか。ビル・トッテン氏によると、戦後の50年間で日本の生産力は12倍になったのに対して、可処分所得は8倍にしかなっていないという。ものが余るわけだ。余った分は外国に売れば、というのもいまの世の中難しい。世界貿易のルールは「一人勝ちは(アメリカ&グローバル企業以外)許しませんよ」ってことだからだ。最近流行の「ワークシェアリング」も、給料が下がるので購買力はなかなか上がらないだろう。



友人Kから原稿届く。とある賞に応募するから送る前に見てくれ、とのこと。結局返事が遅くてまったく役に立てなかったようだ。遅ればせながら、丁寧に読ませてもらった。よく取材されていた。その辺は見ならわなきゃならん。というか、締め切り前に友達に見せるだけの時間がとられているところを見ならわなきゃ。こっちはそれ以前の段階だ。



ああ。胃が痛い。何にも気を使ってないつもりなんだけどなぁ。時間がないということを自覚させてくれてるのかな? ありがたい話だ。



(唐突だが)欲望もまた有限であるかも、という話。現在、ポルノと社会変革、いや、ポルノとわたしに関する物語を画策中。うまく書けるかどうか。荒俣宏図像学の本で、「いつか欲望を喚起するイメージが枯渇する時がやってくるだろう」と予言していたが。まったくありそうな話だ。それと同時に、現在進行しているのは、社会経済への性欲の組み込みというようなプロセスだと思う。雑誌が売れなくなってきたら若い女性の水着の写真の頁などを増やしてみるというのは、業界のイロハではあるようだ。



コンピューター関連のある企業の、債権者に聞いた話。5年くらい前だが、その企業の担当者たち(元某大手銀行役員含む)に「いますぐお金を返すことはできないが、3ヶ月で初期投資が取り戻せて1年で数千万の純利益の上がるビジネスを紹介することはできます」といって、エロサイトの経営を勧められたという。その内容を記した書類も見せてもらったが、高い収益を見込めるジャンルのところに「チャイルドポルノ」まで含まれていてギョッとしたのだが、わたしはまだケツが青いということなのか。チャイルドポルノの販売を勧める元某大手銀行役員……これはグロテスクなことではないだろうか。社会には表裏がなくなりつつある。



欲望が無尽蔵である保障はどこにもない。こんな具合に手軽な刺激で欲望を飼いならしているうちに、訪れる倦怠感というのはどんなものなんだろう。いや、それはすでに訪れているのだ。



■今日のニュース見出し:

精神分裂病
統合失調症」に名称変更を承認 精神神経学会(19日のニュース)
……最近この種の呼称変更やら妙な名づけが目につく。「個人情報保護法案」とか。ものは言いよう、なんとでも言える、って感じだ。現代人には恥じらいというものが欠けている。アルンダティ・ロイが『戦争は平和である』という文章を書いてたが、これこそ現代の言葉の使われ方に対する批判の最たるものだろう。

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