いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

同時多発テロの後、中断

■2001/12/23(日)晴れ■

夕方から府中のフットサル大会に出場。バスは混むからというので自転車で、下連雀から京王線の駅に向かって出発してみた。しかし三鷹市の道は、自転車で走るには最悪である。概して、道幅、歩道が狭すぎるのだ。

三鷹に引っ越したときは、人見街道をまっすぐ行けば、調布にも、府中にも出られる、毎週日曜日にアメリカンスクールの体育館で開かれている球蹴りにもチャリンコで行ける、そう思っていたのだが、あきらめた。

大会では、以前ウチのチームのUが相手選手に大怪我させてしまったチームと当たることになっていた。フットサルの世界は世間が狭いので、こういうことも当然ありうるとはいえ、うーむ…… という感じだ。試合前に、代表のOさんにあいさつする。Oさんは

「ゲームはゲームですから。気にしないでやりましょう」

と言ってくれる。Oさんはブラジルへの2年間のサッカー留学経験もあるプレイヤー。だいたいこのチームは、前の代表の方といい、Oさんといい、事故のあとのやりとりの誠実さ(本来、誠実さを示さなければならないなのはこちらなのだが)には敬服させられることしきりだ。やっているフットサルも、上昇志向が希薄なせいかもしれないが、ガツガツしたところのない、とてもエレガントなスタイルで対戦していても楽しい。そして強い。

成績は散々だった。Uのコンディションのよさばかりが目立った。

着替えのとき、久しぶりに今度、アメリカンスクールのフットサルに行こうよ、とわたしが言い出すと、

同時多発テロの後、中断になってますよ」

とHに言われ、驚きあきれる。休日はバリケードで封鎖されていたらしい。なんてことだ!

夜は、実家で恒例のクリスマス会。大会が長引いて大遅刻。例によって例の如し。猫が巨大になっていて驚く。父の顔色はよし。母と姉にとめられながらも、ビールを飲んでいた。

アルンダティ・ロイの『War Is Peace』(『ビル・トッテンからのレター』)を読み返す。

<<2001年の最初の年が終わりに近づき、我々は夢を見る権利を失ってしまったのだろうかと思う。我々はもう一度、美を心に描くことができるようになるのだろうか。太陽の中で、生まれたばかりのやもりが、ゆっくりと瞬きをするのを見ることができるのだろうか。あなたの耳元でささやくマーモットに、ささやき返すことができるのだろうか。世界貿易センターアフガニスタンのことを考えることなく>>

「小説はもう書かない」とすら公言している彼女のメッセージは、シンプルにして強力だ。それは、「ほんとうのしあわせとはなにか?」という根源的な問いかけであると同時に、意味するものとされるもの、つまりは文学のひとつの極点を教えてくれる。あまりの強力さゆえ、“悪のプチ帝国”インドの権力者に消されないことを祈るばかり。