いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

参院選--「まつりごと」とは言うけれど

日曜日の夜、自宅のテレビにはフジテレビの参院選開票速報が映っていた。いわく「麻生太郎は昔、女性誌に『ちょいワルおやじ』として載っていた」、いわく「日傘を差して遊説する某候補者」……わたしはまったく大人げないことに、というより、人としてどうかというほどに、突発的な怒りを感じて受話器を取り、104でフジテレビの視聴者向け電話番号を調べて、教えられた番号へかけた。

電話を受けた男に用件を伝えると、すみやかに担当者に代わった。彼らの対応には不備はなかった。
「いまお宅の開票速報を観ていたものです。気になったのは、速報の合間に流れるVTRなんだけれども。麻生太郎がちょいワルおやじだろうが、某候補者の妻の某候補者が遊説のときに日傘をさしていたとか、そんなことは俺にはどうでもいいことなんですよ。というか、参院選そのものにとっても、どうでもいいことだと思う。どうでもいいだけじゃなく、あまりにもバカげていると思う。あなたがたは日頃、自分たちの企業活動は「公共性」のため、と言っているじゃないですか。選挙速報なんて、その最たるものでしょう? バラエティー番組だったら、それはお客を面白がらせるためにやっているんだから、どんなにバカなことをやっても、なんの問題もないんだろうが、たかが参院選で、実質がともなわないとかいろいろ言われていたって、国の法律を決める上では重要な選挙だってことは、あんたがたも繰り返し言ってることだ。まして今回は、政局までかかわっているって、あおっているのはテレビじゃないですか。あなたがただって、法律に制限された中で仕事をしてるわけでしょ。わたしだってそう。っていうか、あなたがたと違って、ただでさえ食うや食わずの生活を、法律や行政に左右されながら、なんとか食いつないでるわけ。それもせいいっぱいみっともない努力をして、だ。こんなくらしをしてるからこそ、こんなふざけたテレビを見せられると腹が立つんだよ。バカにされた気がするんだよ。ふだんの努力とか、我慢とか、そういうものを踏みにじられた気がするんだよ。生まれてこのかた、テレビに苦情の電話を入れたのなんて初めてなんだ。それくらい腹が立ってるんだ。こういう苦情があったこと、責任のある人にぜひ伝えてください」

わたしはそれ以上なにも言う気がなくなって、受話器を置いた。そしてバルコニーに出て、足元にころがっていた古いマッキントッシュの筐体を、力任せに蹴飛ばした。ガタンという衝撃音が、向かいのマンションに反響して、わたしのところまで戻ってきた。

家人は、わたしがこのような突発的で異常な行動を取るときの常として、キ○ガイを見るような恐れと嫌悪を込めた目でわたしを見て、「チャンネル、変えたから」とだけ言った。

自分でもバカなことをしたものだとは思う。もちろん、わたしが名前も聞かなかったフジテレビのひとりの男に対して言い連ねた言葉は、間違ってはいない。しかし、他人の、メディアの体たらくに怒るくらいなら、もっとすべきことがあるはずだ、「我慢」というような世間並みの感情に、甘えてはダメだと思えば思うほど、胸が狭まるような気がした。我ながら小さい、もの悲しい話ではあるが、このような現実からしか歩き始めることはできないのだろう。