いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

鰤(ブリ)のカマ

■2002/1/1(火)晴れ■

原稿はなんとか間に合った。あくまで、なんとか、というレベルだ。まぁ、いい。いまのところの力はこれ位、ということなのだろう。深夜営業の三鷹郵便局からの帰り道。どこからともなく除夜の鐘が響いてくる。吉祥寺に住んでいた子供の頃、これは深大寺から聞こえてくるのだと信じていた。いや、今でもそう信じている。真偽のほどはいかがなものなのだろうか。レコ大も紅白も、今年は割愛。暮れの大掃除は年明けに延期(?)。いつまでも、こういうことではいけない。

送稿し終わったあと、買っておいた鰤(ブリ)のカマを40分くらいかけて焼いた。が、2日ほどほとんど寝ていなかったため、こたつで寝入ってしまった。「しつこい食べ物には飽きた!」といいながらカマを前にすえて同居人が食べ始める夢を見た。目が覚めたときはもう、出発しなければならない時刻。慌ててつついたカマの味は・・・。

年末に交わされていた「よいお年を」という挨拶が、これほど重く感じられたこともなかったように思う。ブッシュは「来年は戦争の年になる」と高らかに宣言した。「来年は是が非でも戦争の年にする」という宣言なのだろう。

仕事のことを考えよう。Sがどこかで書いていたように、仕事の、具体的なひとつひとつの過程の中に、「生」があるのだろうから。